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壱の巻「心意気」

其の弍 〜弍〜

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   与太は井戸端でたらいいっぱいの汚れ物を片っ端から洗っていたおなご・・・を見つけた。
   瘦せぎすで、特に手足が折れるように細い。なのに、洗い終えた物が水を含んで重たくなった盥をいきなり持ち上げようとするから、ひっくり返りそうになる。

「なにやってやがる。危ねぇじゃねえか」
   与太はあわてて駆け寄り、盥を持ち上げてやった。
「おすて……大丈夫でぇじょうぶか」

「あっ、与太さ、あんがとね」
   おすて、と呼ばれたおなごは与太を見るなり、花が綻ぶようにほわっと笑って礼を云った。

   与太はつい、と目を逸らした。なにも云わず、抱えていた盥をさっさと物干し場まで持っていく。そして、その盥を地面に下ろしたかと思ったら、中の洗い物を掴んで次々と干し始めた。

「……よ、与太さ、おしなっせぇ。そりゃあ、おらぁ仕事だんべぇ」
   おすては、びっくりして与太を見上げる。まだ、あどけない年端もいかぬ少女の目だ。それに、くるわの女郎たちが遣う気取った物云いではなく、故郷くに方言ことばが抜けていない。

——おるいは、三月みつきもしねぇうちに、すっかり郷里くにの物云いが抜けちまったけどな。
   大人びた面持おももちの十六のおるいより一つ歳下のおすては、まだまだ幼く見えるからかもしれない。

「気にしねぇでいいってことよ」
「だけんどぉ……」
   おすての眉が済まなそうに「へ」の字になっている。着古した木綿の小袖姿は垢抜けないが、その面立おもだちは悪くなかった。

   それもそのはず……今は下働きをやっているが、初潮が来れば——吉原の大見世「久喜萬字屋」の女郎になるのだ。


   おすての故郷くには秩父だと云う。
   十人もの子だくさんの水呑みずのみ百姓の家で、下から二番目に生まれたおすては、二親ふたおやにとっては「要らない子」であった。
   ゆえに、「お捨て」と名付けられた。

   夜明けから日が沈むまで畑仕事をして、日が暮れてからも夜なべして働けども、負い目(借金)ばかりが膨れ上がり、ついに上の娘から順に女衒ぜげんに売っていく羽目になってしまった。
   そして、とうとうおすての番になり、田舎ではなかなかの器量良しと云われていたため、姉たちとは違い吉原に連れてこられた。今から半年前のことである。

   されども、おすては十五にしては小柄で瘦せぎすのせいか、まだ初潮が来ていなかった。月のさわりの来ない、まだ女とは云えぬ「子ども」を見世には出せない。
   すると、見世を差配する内儀おかみは器量の悪くないおすてを「振袖新造ふりそでしんぞ」にさせて売り出そうとした。

   振袖新造(振新)は将来、呼出(花魁)になるための登竜門である。「振新」になれなければ「呼出」は目指せない。

   とは云え、目指す「呼出」はただ男に身体からだを売るだけが商売ではない。
   御公儀江戸幕府のお偉方に諸国の大名、或いはお武家の威厳を脅かすほどの財を持つ大店おおだなの主人たちを、まるで至上の楽園——桃源郷にいざなうかのごとく遊ばせるのだ。

   宴で楽しませるための歌舞音曲はもちろん、座を盛り上げるための気の利いた洒落っ気のある狂歌・川柳、それから客の話に登った折には「知らぬ存ぜぬ」では済まされぬゆえ、我が国だけでなくもろこし(中国)の古典の書にも精通せねばならない。そして、相手がご無沙汰の際には寂しさを訴えて書き送る、流れるような美しき字をものす。
   その道の第一人者たちから、それらをみっちりと仕込まれた子のみが晴れて「振袖新造ふりしん」として見世に出されるのだ。

   されど、「振新」として見世に出るようになってからも精進の日々は続く。まだ客を取らぬ代わりに「呼出」の姉女郎に付いて客との遣り取りの中で手練手管を学び、来るべき客を取る初日——「初見世」に備えるのだ。

   ちまたでは、振新の「初物」をいただくと不老長寿につながると云われているゆえ、いきなり上客の御大尽を相手に満足させねばならぬため、相当つらく厳しい鍛錬が待っていた。

   されども、くるわ言葉どころか秩父の故郷の方言おくにことばさえ抜けぬおすてには、荷が勝ち過ぎた。
   たった数日で根を上げたため、振新への道は敢えなくついえた。

   おすては、ただの女郎として売り出されることになり、初潮が来るまでは廓の下働きをすることと相成あいなった。

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