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壱の巻「心意気」
其の壱 〜伍〜
しおりを挟む「そうだなぁ……」
伊作は雁首の火皿に丸めた刻み莨を詰めた。
「奉行所ってとこはよぉ、手前らの知らせはいつだって急だってんのに、知らせたら知らせたで『なにか手掛かりはねえのか』っていきなり聞いてきゃあがるに決まってっしなぁ……」
煙管の先を火入に近づけて、雁首の莨に炭火を焼べる。
「……とりあえず、おめぇに探っといてもらうとすっか」
その刹那、与太の勝気な眼がぎらり、と輝く。
——よしっ、あとは早速休みをもらう算段でぃ。
父親・甚八の苦り切った面が目にに浮かぶが……
——起っきゃがれってんだ。
そうと決まりゃあ、こんな処で油を売ってはいられない。
「そいじゃ、親分。おいらは仕事に戻るぜ」
与太は立ち上がり、小上がりからひょいと土間へ降りた。
「おう、高ぇ足場に用心しなよ」
伊作は旨そうに紫煙を燻らせて与太を見送った。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
与太は店の入り口にいた茶汲み娘のおるいに、勘定と心付を渡した。
「毎度あり」
おるいは礼を云うと、心付を帯の隙間にすっと差し込んだ。勘定は店の奥にある内所に持っていかねばならぬが、心付は茶汲み娘の「稼ぎ」だ。
世田谷村の百姓家で生まれたおるいは、半年ほど前に弟妹の多い実家から口減らしのため、代々木村よりこちら側の朱引内に出てきたと云う。
母親の昔馴染みが奉行所のお役人の御家で女中頭をやっていて、その伝手でこの水茶屋・嘉木屋に奉公するようになった。
大通りから奥まっていて目立たぬ嘉木屋は、店主の老夫婦が店を開く前に亭主がさる御武家の中間をし、女房がその御家の女中をしていた縁で、今では密かに奉行所の「御用向き」として使われている。
水茶屋で客に茶の給仕をする「茶汲み娘」は、玉の輿に乗りたい若い娘が憧れる人気の職だ。
その昔、お忍びで店にやってきた御公儀のお偉方に見初められて嫁いでいったと云う、茶汲み娘の「笠森お仙」に肖りたいのだ。見目の良い娘が、我こそはと方々から集まってくる。
村にいた頃から器量良しと云われていたおるいも、郷里を出て朱引内に来たからには「茶汲み娘」になりたかった。
されども、水茶屋の中には御公儀の御触れに背いて「客を引いて春を鬻ぐ」店もある。ゆえに怖れもあったが、この店なら安心だ。
「……ねぇ、与太。あんた、また吉原に行くのかい」
「起っきゃがれっ、人聞きの悪りぃことぬかすんじゃねえよ」
与太はぎろり、とおるいを睨んだ。
「おいらは浮ついた心持ちで行くんじゃねえ。奉行所の『御用』で行くんだかんな」
おるいはまだ半年とは云え、奉行所の息が掛かったこの嘉木屋で奉公している。
無論、与太が「火消しの鳶」であるだけでなく「下っ引き」でもあることなど、百も承知二百も合点だ。
されども——
おるいは町娘によく見られる結綿の髪に結われた頭をこてんと傾いで、
「あたいにゃ、あんたが御用向きだけで吉原へ行くとは、とても思えねぇんだけどさ」
と、与太を見返す。
「……るっせぇや」
与太は暖簾をパッと払って、水茶屋の外へ出た。それから、振り向きもせずにおるいに背中を向けたまま、
「おめぇ、郷里に帰ぇらずこの店でずっと働きてぇんだったらぁよ。御用向きのことなんざに無闇矢鱈と聞き耳立ててんじゃねえぞ」
さように告げると、大通りを目指してあっという間に走り去った。
「ふん……なんだよ……」
与太が消えて行った先を見つめつつ、おるいはぽつりとつぶやいた。
「あんな奴……一昨日来やがれってんだ」
そして、店からのお仕着せである縞の前垂れを、縛るようにぎゅーっと握った。
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