大江戸ロミオ&ジュリエット

佐倉 蘭

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大詰

口上〈漆〉

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「南北の奉行所のじじぃたちの、気の遠くなるほどっげぇ祝辞も高砂のうたいも、気になんねぇほど浮かれてたな。顔に出すわけにはいかねぇけどよ。……おめぇの兄貴がずーっと睨んでやがるしよ」

   多聞の腕の中で、志鶴は見上げた。その目は驚きのために見開かれていた。

「なのに、その晩はさ、せっかくのおめぇとの初夜なのによ。怖がるおめぇに嫌われたくなくて、格好つけて部屋に戻したのさ」
   多聞はくくっ、と笑った。

「南町の奉行所ではよ、『北町小町』を娶ったってんで、っかまれて大変だったんだぜ。『北町小町』と熱い夜を過ごさせてたまるか、ってんで、上役からも先々まで宿直とのいを詰め込まれてよ。『北町』に嫌われんのはしゃくも承知の二百にしゃくも合点だけどよ。……『南町』の連中からの仕打ちにゃぁ、少々参ったな」

   多聞は少し寂しそうな顔をした。

「なのに、肝心要のおめぇはよ、おれの世話どころか顔すらも見せに来やしねぇ。やっぱり『南町』の男に嫁入ったことが気に喰わねぇんだな、と思って苛立って、おめぇに八つ当たりしちまったこともあったな」

「ち…違いまするっ。わたくしは、旦那さまのお世話をしとうござった」
   必死の眼差しで訴える志鶴のせなを、多聞はぽんぽんっと叩いた。

「わかってっよ。……うちのおっさんが、許さなかったっつうことはさ」
   多聞の目が陰った。母の富士には、志鶴の顔が梅ノ香に映ったためだ。
   だが、結局は、若かったおのれの分別のなさが所以ゆえんのことである。

   志鶴は食べるものも十分に与えられず、すっかり痩せ細ってしまった。

「……おめぇには、苦労かけたな」

   腹に子を宿した志鶴は、流石さすがに目方を戻し始めたみたいだが。

「こんなことならよ、毎晩一緒に寝てるくせに、後生大事でぇじにとっておくんじゃなかったぜ。まぁ、一度ひとたびおめぇを知っちまえば、歯止めがかからねぇようになるのは目に見えてたけどよ」

   多聞は舌打ちをした。

「細っこいおめぇを毎晩だなんて、ぶっ壊しそうで怖かったから、おめぇが実家さとぇるってのを止めなかったけどな。かようにはよう目方が戻るんなら、もっと早く実家に帰ぇした方がよかったかもな。……されどもなぁ、あの神出鬼没の同心がうろちょろしていやがったしなぁ」

   多聞は気難しい面持おももちで逡巡していた。志鶴は何の話か皆目わからず、首をかしげた。

「……まぁ、今となっちゃぁ、後の祭りだ。これから先のことを考えようぜ」
   気を取り直した多聞が、明るく云った。

「おめぇの腹がどんくらいになりゃぁ、またおめぇを抱けるのか、玄丞先生に聞いてみるか」

   志鶴はようやく話が見えたが、その代わり、ぎょっとする羽目となった。

「ま…まさか、この子が腹の中におるというのに、いかがわしいことをする気では……」

「なぁにが『いかがわしいこと』ってんだ。おめぇだって、生娘だったから初めは流石さすがにかわいそうなくれぇ痛がってたが、そのうちいつの間にか痛みも吹っ飛んで、えらく気持ちよさそうにして、おれのされるがままになってたじゃねぇかよ」

「な…なんということをっ」
   志鶴の顔が一瞬にして、たこの桜煮のように真っ赤に染まった。

「おめぇ、まさか、子が生まれるまでおれに我慢させる気じゃねぇだろな。そりゃぁ、一回こっきりだったとは云わねぇがよ。……おれたちゃぁ、まだたったの一日しかしてねぇんだぜ」

   もちろん子ができたことはうれしいが、それとこれとは話が別だ。

「あ、もう突き飛ばすなよ。ありゃぁ、男の沽券に関わるってのよ」
   志鶴が月のさわりなのに恥ずかしくて云えず、思い余ってやってしまったことを、揶揄からかっているのである。


「旦那さま、あとで持って参りまするゆえ、お帰りの折には、今の季節のあわせと、これからの季節の綿入れのお着物をお持ちござれ」
   まだ真っ赤なままの志鶴は、話を逸らした。

「おっ、そいつぁ、ありがてぇ。おっつぁんがうらやましがって、またいじけるんじゃねぇか」
   多聞が破顔して喜ぶ。

「おめぇがおれの世話をさせてもらえなくても、おれのために着物を縫ってくれてたって知ったあんときにゃぁ、天に舞い上がるほどうれしかったんだぜ」

   多聞が着てくれるかどうかわからなかったが、縫ってよかった。それに、一心に縫い物をしている間は志鶴の気持ちも安らいだ。

「……だが、そいつらは此処ここに置いとくかな。明日っから御役目が終わったあと、日参すっからよ。かみしもから着替えてぇしな」

   無事、腹の子を産み終えて、松波の家に子どもと一緒に志鶴が帰ってくるその日まで、多聞は姉の夫がおこなったことと同じことをしてやろう、と決意した。
   志鶴が案ずる心を「夫」にしかできぬすべで、少しでも和らげてやりたかった。


   多聞は志鶴の顔を見つめた。もう離れて暮らすのには耐えられなかった。
   眠りにつくときも、目覚めたときにも、志鶴の顔がいつもそこにあってほしかった。

   多聞は志鶴の顎を指で、くいっ、と上げて、その愛らしいくちびるを、ちゅっ、と吸った。

   ひさかたぶりに、互いのくちびるを合わせた。多聞は、ぷるっとした志鶴のくちびるを、もっともっと味わいたくなる。
   そしてもう一度、互いのくちびるを重ねる。

   多聞はふわりと開いた志鶴のくちびるの中へ、すかさず我が舌を、するりと滑り込ませる。それから、志鶴の口の中で、互いの舌を、ねっとりと絡ませた。

   多聞の舌が燃えるように熱い。志鶴の舌がとろけるように甘い。

   くちづけは……さらに深く長く続いた。

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