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十二段目

逢引の場〈参〉

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「……起っきゃがれっ」

   多聞は梅ノ香を真正面から見据えた。

「おめぇは……我が子をおのれと同じれぇ目に遭わしてぇのかっ」

   がらりと変わった多聞の口調に、梅ノ香は目をぱちぱちとさせた。

   だがその刹那……はっ、と気づいた。

   確かに、いくら上客相手で、おのれで選り好みできるとはいえ——いろんな男に、我が身を売ることに変わりなかった。

「おめぇ……淡路屋のあるじから望まれてんじゃねぇのかい」
   多聞は静かに訊いた。


   江戸では大店おおだなで知られた淡路屋の主人の最初の女房は、同じ廻船問屋の娘でおたな同士のための縁組だった。

   恋仲だった実家さとのお店の手代を忘れられなかった女房とは、なかなか心を通わせることができず、子にも恵まれなかった。
   ところが、夫婦めおとになって十数年も経ってから、いきなり腹に子が宿った。

   だが、喜びも束の間、高齢で初産の女房は産褥の際に腹の子と一緒に命を落とした。

   心にぽっかりと穴の空いたところに入って来たのが、おりつである。
   水茶屋とはうたっているが、酒も出すような店で酌婦をしていた。されども、気落ちしていたのをやさしく励ましてくれた。

   周りの反対を押し切って後妻のちぞえにおさめたのはいいが、いざ夫婦になってみれば、やれ芝居だの新しい着物だのと金遣いが荒く、店で働く者からの評判がますます悪くなった。

   そんな折、気晴らしにと友人から勧められたのが吉原だった。
   そうして出会った娼方あいかたが、梅ノ香だったのだ。

   吉原の遊女など、男慣れした派手なおなごだとばかり思っていたが、梅ノ香は可憐で愛らしくそしてどこか儚げなおなごだった。
   守ってやりたい、と思ったそのときにはもう、いい歳して初めて行った吉原で、生まれて初めての「恋」をしていた。

   吉原で梅ノ香のしとねにいたある夜、淡路屋に押し込み強盗が入った。
   盗賊たちを手引きしたのは——後妻おりつだった。

   淡路屋が押し込みにられて以来、くるわ通いをするほどの余裕がなくなったのか、三日と開けず来ていたのがぱったりと姿を見せなくなった。盗賊に入られた一大事に、肝心の主人がお店におらず廓にいた、ということで、お店の者に顰蹙を買った所以ゆえんもあるやもしれぬ。

   だが、ひさしぶりに訪れてきた際に、明くる年梅ノ香が年季明けした暁には「店のことでは苦労をかけるだろうが、女房になってほしい」と、痩せてすっかり憔悴しきった顔で懇願された。
   奉行所に捕縛され、この先厳罰が下るであろうおりつ・・・には、既に三行半みくだりはんを突きつけていた。


「……淡路屋は今、正念場だぜ。前の女房が盗賊ぞくの手先だったんだからな。奉行所おかみから、店にも何らかの御沙汰があるかもしんねぇ」
   多聞は手酌で酒を注ごうとした。あわてて梅ノ香が銚子を手にする。

「だけどよ……もし、おめぇが新しい女房になって、子どものいねぇ淡路屋で子でも産めばよ。店は活気づくし、亭主はもちろん店のヤツらだって、生まれた子が男あろうとおなごであろうと跡取りだっって、きっとおめぇ共々ともども大事でぇじにしてくれるにげぇねぇってのよ」

   多聞は梅ノ香に、盃をぐっと差し出した。

「おめぇは、生まれた子を真っ当な道に歩ましてくれるてて親の子どもを産みな」

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