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十二段目

別離の場〈参〉

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「……志鶴、正直に話してくれぬか」
   父の佐久間 彦左衛門が神妙な顔つきで尋ねた。

「その腹の中の子は……松波殿の子ではないのか」

   母の志代は俯いて、聞きたくないとばかりにたもとで顔を隠している。
   兄の佐久間 帯刀は青白い顔を歪めて、無念とばかりに唇を震わせていた。

   与力に与えられている三百坪はゆうにある広い家にいるにもかかわらず、今は一つの座敷に家族四人が顔を突き合わせていた。

「……あんまりでございまするっ」
   志鶴は思わず叫んでいた。

「わ…わたくしが、旦那さま以外の方とのお子など宿すはずがありませぬっ」

   それを聞いた三人は、ほおぅーっと深い安堵のため息をついた。

「さすれば、なにゆえ松波の家に戻らぬのじゃ。さばかりか、向こうに黙っておくとは如何なる所以ゆえんじゃ」
   彦左衛門が怪訝な顔をする。無理もない。

「……申し訳ありませぬ」
   志鶴は家族に向かって、只々ただただ平伏した。

「志鶴……もしかして、おまえは松波の子を産むのが本意ではないのではあるまいか」
   帯刀が志鶴をおもんぱかるように尋ねる。

「もし、さようであらば松波と離縁し、生まれた子は里子に出して、今度はおまえが望む家に再嫁さいかしてもよいのだぞ」

   志鶴は目を見開いた。
「と…とんでもないことでござりまするっ」
   咄嗟とっさに腹の中の子をかきいだくように、我が身をぎゅーっと抱きしめた。

「旦那さまとのお子を里子になど出せませぬ。 たとえ離縁いたしても、この子はわたくし一人で、立派に育て上げてみせまする」

   志鶴は家族を見据えて、きっぱりと告げた。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   腹に子が宿った志鶴は、男物の冬物の綿入れを仕立てたのち、今度は生まれてくる赤子のための産着を縫い始めた。
   だが、あまり根を詰めると、また胃の腑の辺りが締めつけられたようになって、吐き気がしてくるゆえ、無理はできぬ。


   今日も心配した兄の帯刀とともに島村 尚之介が、志鶴のいる縁側までやってきた。

「あっ……今、お茶を持って来させるゆえ」
   志鶴は縫いかけの真っ白な産着を置いて、立ち上がろうとする。

「おお、よい、よい。わしが女中に告げるゆえ、おまえは動くな」
   帯刀があわてて志鶴を制す。

「兄上にさようなことまでさせて……申し訳ありませぬ」
   志鶴は頭を下げた。

   そして、帯刀は女中たちのいるへっついのある土間へ向かって行った。


「……志鶴殿」
   尚之介の切れ長の澄みきった目が、志鶴をまっすぐに射抜いた。

「尚之介さまにもご心配をおかけして、申し訳ありませぬ」
   志鶴は深々と頭を下げた。

   尚之介は静かに首を振った。

「おぬしの兄上から聞き申した。……南町の家を出られるとは本当まことでござるか」
   心に染み込むように響く低い声で、尚之介が尋ねた。

   志鶴が静かに肯いた。

「……父の顔を知らずに育つこの子には、苦労をかけるとは思いまするが」
   その手はおのずから子の宿る腹を撫でていた。されども、まだ三月みつきを過ぎたばかりのその腹は、いささかも膨れていなかった。

   尚之介は、志鶴が愛しげに撫でる腹をじっと見つめた。まったく驚いた様子が見えぬのは、既に帯刀から聞いていたのであろう。

「ならば……」

  尚之介が口を開いた。

「……その子の父に、ならせてはもらえぬか」

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