67 / 81
十二段目
別離の場〈参〉
しおりを挟む「……志鶴、正直に話してくれぬか」
父の佐久間 彦左衛門が神妙な顔つきで尋ねた。
「その腹の中の子は……松波殿の子ではないのか」
母の志代は俯いて、聞きたくないとばかりに袂で顔を隠している。
兄の佐久間 帯刀は青白い顔を歪めて、無念とばかりに唇を震わせていた。
与力に与えられている三百坪はゆうにある広い家にいるにもかかわらず、今は一つの座敷に家族四人が顔を突き合わせていた。
「……あんまりでございまするっ」
志鶴は思わず叫んでいた。
「わ…わたくしが、旦那さま以外の方とのお子など宿すはずがありませぬっ」
それを聞いた三人は、ほおぅーっと深い安堵のため息をついた。
「さすれば、なにゆえ松波の家に戻らぬのじゃ。さばかりか、向こうに黙っておくとは如何なる所以じゃ」
彦左衛門が怪訝な顔をする。無理もない。
「……申し訳ありませぬ」
志鶴は家族に向かって、只々平伏した。
「志鶴……もしかして、おまえは松波の子を産むのが本意ではないのではあるまいか」
帯刀が志鶴を慮るように尋ねる。
「もし、さようであらば松波と離縁し、生まれた子は里子に出して、今度はおまえが望む家に再嫁してもよいのだぞ」
志鶴は目を見開いた。
「と…とんでもないことでござりまするっ」
咄嗟に腹の中の子をかき抱くように、我が身をぎゅーっと抱きしめた。
「旦那さまとのお子を里子になど出せませぬ。 たとえ離縁いたしても、この子はわたくし一人で、立派に育て上げてみせまする」
志鶴は家族を見据えて、きっぱりと告げた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
腹に子が宿った志鶴は、男物の冬物の綿入れを仕立てたのち、今度は生まれてくる赤子のための産着を縫い始めた。
だが、あまり根を詰めると、また胃の腑の辺りが締めつけられたようになって、吐き気がしてくるゆえ、無理はできぬ。
今日も心配した兄の帯刀とともに島村 尚之介が、志鶴のいる縁側までやってきた。
「あっ……今、お茶を持って来させるゆえ」
志鶴は縫いかけの真っ白な産着を置いて、立ち上がろうとする。
「おお、よい、よい。わしが女中に告げるゆえ、おまえは動くな」
帯刀があわてて志鶴を制す。
「兄上にさようなことまでさせて……申し訳ありませぬ」
志鶴は頭を下げた。
そして、帯刀は女中たちのいる竃のある土間へ向かって行った。
「……志鶴殿」
尚之介の切れ長の澄みきった目が、志鶴をまっすぐに射抜いた。
「尚之介さまにもご心配をおかけして、申し訳ありませぬ」
志鶴は深々と頭を下げた。
尚之介は静かに首を振った。
「おぬしの兄上から聞き申した。……南町の家を出られるとは本当でござるか」
心に染み込むように響く低い声で、尚之介が尋ねた。
志鶴が静かに肯いた。
「……父の顔を知らずに育つこの子には、苦労をかけるとは思いまするが」
その手は自ずから子の宿る腹を撫でていた。されども、まだ三月を過ぎたばかりのその腹は、いささかも膨れていなかった。
尚之介は、志鶴が愛しげに撫でる腹をじっと見つめた。まったく驚いた様子が見えぬのは、既に帯刀から聞いていたのであろう。
「ならば……」
尚之介が口を開いた。
「……その子の父に、ならせてはもらえぬか」
0
お気に入りに追加
55
あなたにおすすめの小説
真田幸村の女たち
沙羅双樹
歴史・時代
六文銭、十勇士、日本一のつわもの……そうした言葉で有名な真田幸村ですが、幸村には正室の竹林院を始め、側室や娘など、何人もの女性がいて、いつも幸村を陰ながら支えていました。この話では、そうした女性たちにスポットを当てて、語っていきたいと思います。
なお、このお話はカクヨムで連載している「大坂燃ゆ~幸村を支えし女たち~」を大幅に加筆訂正して、読みやすくしたものです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる