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十二段目
別離の場〈壱〉
しおりを挟む志鶴が実家の佐久間の家に戻って、二月ほどが経った。
松波の家から戻った日、あまりにも痩せ細っていた志鶴を見るなり、母親の志代は甲高い悲鳴を上げたかと思うと、畳に突っ伏して号泣した。「母の具合が悪い」という口実が、本当になりそうな憔悴ぶりだった。
「……『三年辛抱しろ』と云われてござったのに、半年も持たず、申し訳ありませぬ」
家族の前で平伏する志鶴に、
「いや……元より無理な相談でござった。志鶴、大儀であった」
父親の佐久間 彦左衛門は娘に労いの言葉をかけた。
兄の佐久間 帯刀は、ただ不憫な目をして妹を見つめていた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
近頃、兄を訪ねて、島村 尚之介がよく顔を見せるようになった。
尚之介が生家の上條から島村の家に養子に入り与力と同心とに身分が分かれたゆえ、一時は疎遠になっていたらしいが、元は一番気の合う友である。交流は復活していた。
天高く澄み渡った秋空の下、縁側で縫い物をしていた志鶴のところに、兄と尚之介が庭を横切ってやってきた。
「……ずいぶん、調子が良うなってきてござるな」
尚之介が安心したように、口元を綻ばせた。
「尚之介さまにも、ご心配をおかけして、申し訳ありませぬ」
志鶴は縫い物の手を止めて、一礼した。実家に戻ってきてからは、流石に少しずつ目方が増えてきていた。
「おっ、そいつはおれの綿入れか」
兄の帯刀が目ざとく見つけて訊いてくる。
志鶴は、来たる冬に備えて綿入れの着物を縫っていた。男物である。ふふふ…と、曖昧に笑った。
兄のものではなかった。実は、すでに今の時節に合う秋物の袷も縫い上げていた。
あの日——最後の日にしてようやっと肌を合わせて、身体をつなげ、夫婦になれた、あの日。
これで……あの「沸々」とした思いから解き放たれた、と志鶴は思った。
多聞にとっては我が身が「形ばかりの妻」であるのが辛くなって、松波の家を出た。佐久間の家に戻れば、また祝言の前の娘の頃ような心持ちで過ごせるはずだ、と思っていた。
だが——違った。
志鶴が去ったあと、多聞が気兼ねなく「深川」に足繁く通っておるのだと思うと、「沸々」は情け容赦なくやってきた。
かような気を鎮めるために、志鶴はひたすら縫い物をしていた。無心で一針一針、針を運んでおると、ようやく心が落ち着いた。
——されども、もうそろそろ……去状(離縁状)をもらわねばなるまい。
「あ…構いもせず、ご無礼仕った。今、お茶を持って来させるゆえ」
志鶴は縫い物を脇に置いて、立ち上がった。とたんに、縁側から見る庭の景色がぐらりと揺れた。
——あれっ、目が定まらぬ。
志鶴は思わず膝をついた。
「……どうした、志鶴」
帯刀が駆け寄ってきた。尚之介も気がかりな顔をしている。
「大袈裟な……少し、立ちくらんだだけでござりまする」
志鶴は心配は無用と微笑んで、もう一度立ち上がろうとした。
しかし、その刹那、胃の腑が急に締めつけられて吐き気がしてきた。この二、三日ほどの間に、それは日に何度かあった。
——あぁ、またか。
と、思ったのもつかの間……
志鶴は縁側の床に崩れ落ちていた。
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