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十一段目
逢瀬の場〈参〉
しおりを挟む座敷の外から香ばしい匂いがしてきた。
女中の訪いに、多聞が「あいよ」と応えると、すぅーっと襖が開いて鰻がやってきた。
鰻を開いて串に刺して、皮目はこんがり身はふっくらと焼き上げた、大蒲焼だ。
「昨日の今日で、おめぇの目方が増えるわけじゃねぇけどよ。せめて、精でもつけさして帰ぇさねぇと、おめぇの実家に顔向けできねぇかんな」
多聞は端整な顔を少し歪めて笑った。
万葉の古より、夏場の鰻は精をつけるのによいとされてきた。
志鶴は箸を取って一口食した。
口の中いっぱいに、鰻の甘辛い味が広がる。炭火に炙られ過ぎて焦げて苦いところですら、味わい深かった。
さような風味はまるで……
——祝言を挙げてから今日までの、志鶴の日々そのものであった。
すっかり食が細くなってしまった志鶴だが、大蒲焼はもちろん、ともに出された鰻を玉子で巻いた「鰻巻き」や鰻の肝を吸い物にした「肝吸い」もすべて美味しそうに平らげた。
箸を静かに置いた志鶴は、多聞に向き合った。
「……旦那さま、短い間でござったが、今までありがたく存じてござりまする。松波の御家に対しますれば、かような堪え性のない至らぬ嫁でござって、誠に申し訳ありませぬ」
深々と、平伏した。
姑の富士の仕打ちに関しては、なにゆえかということもわかったし、とうにすっかり水に流していた。
梅ノ香とのことでは、今までに抱いたことのない苦い思いを味わい、それは今でも沸々としている。
さりとて……多聞は最後に、かような場を与えてくれた。
今まで多聞には給仕はすれども、一度たりとて共に食すことなどなかった。武家の夫婦はそれがあたりまえだからだ。また、食す品数も夫の方が多い。武家の夫婦はそれがあたりまえだからだ。
なのに……最後に、多聞と隣に並んで、まったく同じものを食すことができた。
いつか、初めての夫を思い出すとき、きっと姿を見せるのはこの場面だ。
そう思うと、志鶴は滅法界に……
——しあわせであった。
やがて、志鶴は面を上げた。
視線が目の前の多聞とぶつかる。
だが、多聞はなにも云わず、ただじいっと志鶴を見つめていた。いつものような「浮世絵与力」の自信たっぷりの鋭い目ではなかった。
泣き出す手前の幼子のように——哀しい目だった。
「……旦那さま、もう参りませぬと」
いたたまれなくなった志鶴が目を逸らす。
そして、立ち上がった。
されども、なぜか足に力が入らず、急にふらついた。ここへきて酒が廻ってきたらしい。
すかさず、多聞が抱きとめる。
再び——二人の視線が出合った。
「……志鶴、おまえを、生娘のまま実家へは返さぬ」
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