大江戸ロミオ&ジュリエット

佐倉 蘭

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九段目

往古の場〈肆〉

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   おさよの話は正真正銘の本当まことの話だったが、この御時世、江戸をはじめ諸国でもよく聞く、ありふれた話であった。

   ところが、多聞はまるで雷に撃たれたかのような心持ちになった。
   生まれて初めて、かような境遇の「張本人」に出会ったのだ。しかも同じよわいだ。
   如何いかに我が身が恵まれた境遇であったかが、骨身に沁みてわかった。

   だが、かような境遇にもかかわらず、おさよは平気の平左で今日もくるわの下働きをしている。
   細っこいおさよが、重たい漬物石を移しているのを見たとたん、心配のあまり多聞は思わずおさよ・・・の手から漬物石を引き取った。

   団栗どんぐりのようなびっくりまなこで、おさよは背の高い多聞を見上げた。でも、すぐにほぐれて、にこーっと満面の笑みになる。

   その刹那、多聞の心の臓が、きゅうぅっ、と掴まれた。かような気持ちは、初めてだった。

   昼間のほんのひととき、しかもおさよ・・・は何やかやと仕事をしていたが、多聞にとって次第にそのときが、かけがえのないものになっていった。

   おさよといるとき、多聞は朗らかな何の屈託もない、少年のままの笑顔を見せた。

   そして、それはおさよも同じだった。

   多聞の見栄えの良さなんかどうでもよかった。我が身だけに見せてくれる何気ないやさしさに、おさよはどんどんかれていった。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   おさよにとうとう初潮がやってきた。

   もう下働きではいられない。一刻も早く父親に支払われた負い目を、文字どおり我が身一つで返していかねばならぬ。こうしているうちにも高利がどんどん嵩んでいるのだ。
   いよいよ、十年に及ぶ「年季奉公」が始まる。

   振袖新造の道を絶たれた女郎は、初めは「部屋持ち」にもなれない。
   つまり、二階にある個室が与えられないため、一階の「廻し部屋」という大部屋で客を取ることになる。

   同じ部屋の中に仕切られた屏風の向こう側では、別の女郎が別の客を相手にしている。もちろん、張見世はりみせに座って客引きせねば客はつかぬ。

   また、客が初会、裏、三会、と三度通って「馴染なじみ」にならないと「床入れ」できぬというのは二階の「遊女」たちの話である。
   一階の廻し部屋の安い女郎たちは初会であろうと、身体からだをひらく。客は決まったときが過ぎれば帰らされるため、女郎はまた張見世に出ねばならぬ。
   ゆえに、一晩で何人もの客を相手にした。

   それは、いくら大見世であろうと同じだった。安価な客は数で稼がねば、いくら大見世でもやっていけないからだ。
   いやならば、二階へ上がって部屋を持つ「遊女」にのし上がるしかない。

   おさよは涙ながらに、多聞に話した。

   されど云うたとて、せんないことだとはわかっていた。けれども、その前にせめて……

——「初めて」は多聞がよかった。

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