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九段目
往古の場〈肆〉
しおりを挟むおさよの話は正真正銘の本当の話だったが、この御時世、江戸をはじめ諸国でもよく聞く、ありふれた話であった。
ところが、多聞はまるで雷に撃たれたかのような心持ちになった。
生まれて初めて、かような境遇の「張本人」に出会ったのだ。しかも同じ齢だ。
如何に我が身が恵まれた境遇であったかが、骨身に沁みてわかった。
だが、かような境遇にもかかわらず、おさよは平気の平左で今日も廓の下働きをしている。
細っこいおさよが、重たい漬物石を移しているのを見たとたん、心配のあまり多聞は思わずおさよの手から漬物石を引き取った。
団栗のようなびっくり眼で、おさよは背の高い多聞を見上げた。でも、すぐにほぐれて、にこーっと満面の笑みになる。
その刹那、多聞の心の臓が、きゅうぅっ、と掴まれた。かような気持ちは、初めてだった。
昼間のほんのひととき、しかもおさよは何やかやと仕事をしていたが、多聞にとって次第にその刻が、かけがえのないものになっていった。
おさよといるとき、多聞は朗らかな何の屈託もない、少年のままの笑顔を見せた。
そして、それはおさよも同じだった。
多聞の見栄えの良さなんかどうでもよかった。我が身だけに見せてくれる何気ないやさしさに、おさよはどんどん魅かれていった。
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おさよにとうとう初潮がやってきた。
もう下働きではいられない。一刻も早く父親に支払われた負い目を、文字どおり我が身一つで返していかねばならぬ。こうしているうちにも高利がどんどん嵩んでいるのだ。
いよいよ、十年に及ぶ「年季奉公」が始まる。
振袖新造の道を絶たれた女郎は、初めは「部屋持ち」にもなれない。
つまり、二階にある個室が与えられないため、一階の「廻し部屋」という大部屋で客を取ることになる。
同じ部屋の中に仕切られた屏風の向こう側では、別の女郎が別の客を相手にしている。もちろん、張見世に座って客引きせねば客はつかぬ。
また、客が初会、裏、三会、と三度通って「馴染み」にならないと「床入れ」できぬというのは二階の「遊女」たちの話である。
一階の廻し部屋の安い女郎たちは初会であろうと、身体をひらく。客は決まった刻が過ぎれば帰らされるため、女郎はまた張見世に出ねばならぬ。
ゆえに、一晩で何人もの客を相手にした。
それは、いくら大見世であろうと同じだった。安価な客は数で稼がねば、いくら大見世でもやっていけないからだ。
厭ならば、二階へ上がって部屋を持つ「遊女」にのし上がるしかない。
おさよは涙ながらに、多聞に話した。
されど云うたとて、詮ないことだとはわかっていた。けれども、その前にせめて……
——「初めて」は多聞がよかった。
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