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九段目
往古の場〈参〉
しおりを挟む女の子の名はおさよといい、歳はなんと多聞と同じ十五だった。故郷は秩父だと云う。
おさよの母が、流行り病であっけなく死んじまったのが運の尽きだった。
父の酒量が増え、百姓仕事も滞り、果てには博打に手を出すようになった。
すると、見る見る間に負い目(借金)が膨れ上がり、とうとう亡き女房の忘れ形見である娘を女衒に売る羽目になってしまった。
田舎ではなかなかの器量良しと云われて育ったおさよは、吉原に連れられてきた。十二のときだった。
だが、おさよは歳より小柄で瘦せぎすのせいか、まだ初潮が来ていなかった。
月の障りが来ない、まだ女とは云えぬ「子ども」を見世には出せない。
そこで、見世を差配する内儀が、器量の悪くないおさよを「振袖新造」として売り出そうと考えた。
振袖新造(振新)は将来、呼出(花魁)になるための登竜門である。
呼出はただ男に身体を売るのが商売ではない。客筋は御公儀(江戸幕府)のお偉方に諸国の藩主、さらにお武家の威厳を脅かすほどの財を持つ大商人である。
それらの者を至上の楽園、桃源郷に誘うかのごとく遊ばせるのだ。
宴で楽しませるための歌舞音曲はもちろん、座を盛り上げるために、時には気の利いた洒落っ気のある狂歌・川柳をものす。
また、話に登った際に「知らぬ存ぜぬ」では済まされないので、我が国だけでなく唐(中国)の国の古典の書にも精通している。
そして、相手がご無沙汰の折には寂しさを訴えて書き送らねばならぬゆえ、流れるような美しき字も身につけている。
その道の第一人者たちから、それらをみっちりと仕込まれた子だけが「振袖新造」となって見世に出られる。「振新」になれなかった時点で、もう「呼出」は目指せない。
さらに、「振新」として見世に出るようになってからは、まだ客を取らなくてもいい代わりに「呼出」について客との遣り取りの中で手練手管を学び、来るべき客を取る初日——「初見世」に備えるのだ。
巷では、振新の「初物」をいただくと不老長寿につながると云われているゆえ、いきなり上客の御大尽を相手に満足させねばならない。
ゆえに、相当つらく厳しい鍛錬となる。
だが、無念ながら、秩父の百姓の出のおさよには荷が勝ち過ぎた。廓言葉すらなかなか覚えられず、故郷の方言さえ抜けなかった。
おさよは早々に根を上げた。
振新への道は途絶えた。仕方なく、初潮が来るまでは廓の下働きをやることになった。
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