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九段目
往古の場〈壱〉
しおりを挟む大川(隅田川)から猪牙舟に乗って、山谷堀からお歯黒どぶに入れば、周囲を高い塀で囲まれた吉原の廓への唯一の入り口、大門が見えてくる。
朱色に彩られた二本の柱に、黒い屋根を乗せた鏑木門だ。
柳が揺れる川岸に着き、舟から降りて向かう。
大門をくぐると、右手には女郎たちが逃亡せぬように見張る四郎兵衛会所、左手には同心や岡っ引きが詰める面番所がある。
面番所に詰めているのは隠密廻り同心だ。与力が詰めることはない。
だが、十二で元服を終えて「見習い与力」になった多聞に父親の源兵衛は、与力の御役目だけでなく同心の御役目も「修行」させていた。
そのため、多聞は「面番所」にやってきた。
多聞はそのとき、十五歳であった。
代々年番方与力である家に、跡継ぎの嗣子として生を受けた松波 多聞は、生まれたときより人一倍恵まれたところにいた。
「南町一の美人」と若き頃に謳われた母の器量を受け継いだ端整な面立ちは、憧れや羨みだけでなくやっかみも買うことがあって、時折閉口することもあるが、父から受け継いだ畏れを知らぬ豪胆さで打ち払ってきた。
「見習い与力」として町家の番所での「修行」も三年目に入り、当初は武家との違いでとまどうこともあったが、何不自由なく育ったがゆえに培われたおおらかな気質と、生来身につけていた要領のよさで乗り越えてきた。
まだまだ少年の面影を残す松波 多聞は、怖いもの知らずなほど意気盛んで、文字どおり「向かう処、敵なし」であった。
——この地に降り立つまでは。
大門からまっすぐに突っきる大通りを仲之町という。
一番初めの辻の右手が江戸町一丁目、左手に伏見町と江戸町二丁目があり、この辺りの二階家で大名御殿のごとき店構えが「大見世」だ。
いわゆる「呼出(花魁)」はこの大見世にしかおらず、しかもたったの数人である。
二番目の辻の右手が揚屋町、左手が角町で、二階家だが少し格の落ちる「中見世」だ。
ゆえに、この見世では「呼出」を置くことが認められず、その下の「昼三」が最上位である。
三番目の辻の右手が京町一丁目、左手が京町二丁目で、一番格下の「小見世」や「切見世」が犇くように軒を連ねている。
「大見世」や「中見世」でなにかやらかして売っ払われてしまった者や、年季が開けたにもかかわらず負い目(借金)が残っている者、傾動で御公儀から奴女郎に罰せられた者などが縋りつくどん底の見世だ。
これらの見世は、もちろん建物の規模や室礼の違いもあるが、一目でわかるのは籬の形だ。
籬とは、表通りに面した一階の、女郎たちが客引きのためにずらりと座る「張見世」にある目隠しの格子のことだ。
大見世は全面が格子になっていて中の女郎の顔がわかりづらいが、中見世は右上の四分の一が空いているためそこから覗けば見える。さらに小見世などになると、上半分の格子がすっかりなくなるから見放題だ。
格が落ちる見世になるほど、女郎たちの顔が丸見えになり、品のない下卑た見世となる寸法だが、実は買う方にとってはしかと「見えた」方がしくじりが防げて好都合なのだ。
さりとて、流石に格の高い見世になればなるほど、いい女が集まってくるのが世の常だ。
もっとも、呼出や昼三は張見世には座らない。さような客引きなどをせずとも、馴染みの客がきっちりついているからである。
多聞たち「見習い」は、かような廓内の見世を昼間のうちに見廻るのが御役目だった。
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