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八段目

醜聞の場〈壱〉

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   ある日、厄介な人が松波の家を訪れた。
   親同士が、幼き頃より多聞の許嫁いいなずけと決めていた、千賀だ。

   志鶴は顔には見せぬが、会いとうない相手であることは間違いない。

「千賀どの、せっかくお越しになったのに御無礼極まりまするが、生憎あいにく、本日は姑上ははうえ様の御身体からだがすぐれず……」
   千賀のおとないに、志鶴は当たりさわりのない口上を述べる。

   まさか、姑の富士が嫁である志鶴が理由で、血を分けた息子から蟄居ちっきょ謹慎を命ぜられているため本日は会えぬ、などとは口が裂けても云えぬ。

「あぁ、本日は伯母おば上を拝顔しにきたわけではござらぬ。……案じ召されるな。我ら身内は仔細を存じておりまするがゆえ」
   千賀はそう云って、ふふっ、と意味ありげに笑った。相変わらず、鳥居清長が描いた美人図から抜け出てきたかのような美しさだ。

「伯母上がおらぬ方が好都合。わたくしは、そなたに会いに参ったのでござりまする」

  —— いやな予感しかしなかった。

   されども、志鶴に会いにきた、と云われると、自室に通さぬわけにはいくまい。茶の支度をするようおせい・・・に指図する。

   すると、すっかり志鶴の味方になったおせい・・・が、能面のようにのっぺりとした顔で、千賀を睨んでいた。


   志鶴は仕方なく千賀を自室に通した。

「……なにも、女中ともども、さような怖い顔をせぬとも」
   たおやかに腰を下ろした千賀は、さもおかしげに笑う。どうやら、知らず識らずのうちに志鶴の顔にも出ていたらしい。

「……此度こたび赦帳撰要方しゃちょうせんようがた与力の本田ほんだ 政五郎まさごろうさまと御縁があり、祝言を挙げることにあい成ったゆえ、御報告に参ってござりまする」
   志鶴の聞いたことのない名前なので、相手はもちろん「南町」のお方であろう。

   赦帳撰要方与力とは、咎人とがにんの罪状に関する名簿を作成し恩赦の際にはその中から選定して奉行に上申したり、江戸府内の名主なぬしから提出された人別帳にんべつちょう(戸籍)を管理したりする御役目である。

「それは、それは……誠に御目出度おめでたきことにて、御慶びたてまつりまする」
   志鶴は深々と一礼した。

「伯母上が存ぜられれば『そなたは多聞を棄てて他家へ嫁入るのか』などと、気の悪いことを云われるやもしれぬから、会えなくてよかったのじゃ」
   千賀はしれっと云った。

   此度の相手を、よほど気に入ったように見える。生家の例繰方と同じく、町方役人のような命をす御役目ではないからだ。

   武家同士の縁組では、志鶴もさようであったが、当人の心持ちは二の次、三の次であることが多いゆえ、我が身が気に入る相手とはなかなか縁を結べない。

   志鶴は千賀にとって良い御縁でようござった、と心から思った。

「……そこでじゃ」
   まだ話は続くらしい。というか、ここからが肝心要のきもか。

   おせいが茶を運んできた。一礼して、茶碗を千賀と志鶴の前にそれぞれ置く。

「町家での、多聞さまのお噂のことであるが、志鶴どの……そなたご存知か」

   おせいの細い目がめいっぱい見開かれた。
   今まで、志鶴の耳にはとも入れたくなくて、心を砕いてきたのに。なのに、奉公人の分際では一言も発してはならぬ、かような場で——

「……存じておりまする」
   志鶴はきっぱりと云い切った。

   おせいの目が、金輪際これ以上に目を見開くことはあるまいと思われるほど、さらに大きく開いた。

「もう、お下がり」
   志鶴はおせい・・・にやさしく微笑んだ。

   おせいは一礼して下がった。唇を噛み締め、お仕着せの前掛けをぎゅっとしわになるほど握っていた。

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