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七段目
雪消の場〈参〉
しおりを挟む「あ、それから……今朝、旦那さまの髪を結った者であるが」
さりげなく、おせいに尋ねてみる。
「あっ、あの男前のっ」
おせいが頬を染めて、はしゃいだ声を上げる。
「いつもの髪結いが……そん人も男前だけど……なんだか急に具合が悪うなったそうで。あたいも今日の髪結いを見たんは初めてのこってす」
どうやら、おせいは男前に目がないらしい。
「若旦那さまの御髪がいつも流行りの真ん前を走ってなさるんは、いつもの男前の髪結いが毎朝結ってっからで……」
確かに多聞の髪型は、当世流行りの細い髷を高く結った本多髷だ。
それから、水を得た魚のごとく、おせいの取り留めのない話が続く。
心を開いてくれたおせいは、気さくにしゃべる。これまでむっつり黙っていた者とは別人のようだ。
おせいは世田谷村の百姓の出で、二年ほど前に弟妹の多い実家から口減らしのために松波の家に奉公に来たという。
「……おまえとのおしゃべりは楽しいが、他にご用は云いつけられておらぬのかえ」
志鶴が微笑みながら訊くと、おせいは、
「あっ、いけねぇ。油売ってちゃぁ、おたつさんに叱られっちまうべ」
と、あわてて腰を上げた。おたつとは女中頭の名であった。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
その晩、志鶴は御役目を終えた舅の松波 源兵衛から、座敷に呼び出された。舅に会うのは祝言のとき以来である。
座敷の前で訪いをすると「入れ」と云われて、座敷の中へ膝を進める。
夫の多聞の姿もあった。
多聞の整った顔立ちは母方から受け継いだため、無骨な鬼瓦のような顔立ちの父親とは似ても似つかなかった。だが、長身の立派な体格とその中身は、母親とは似ても似つかず、父親そのものであった。
「此度は嫁入ったばかりのそなたに心が配れず、申し訳ないことをした」
なんと、源兵衛が息子に嫁入った志鶴に頭を下げた。
「ち…舅上様。どうか面をお上げくださりませ」
志鶴はそう云って、我が身をさらに深く平伏させた。
「……父上、面を上げられよ。謝られておるのは志鶴なのに、その額が畳にくっつくくれぇになっちまってるぜ」
多聞が豪快に笑った。父親に対しては、ほぼ町家言葉である。
「此度のことは、我が松波の面目に関わることであるからな。実家の佐久間殿にはなんと云って顔向けをすればよいか」
源兵衛は腕を組んで、顔を顰めた。
「我が妻の富士には、わしと多聞とできつう云い聞かせたゆえ、此度のことはどうか水に流してくれぬか」
「姑上様とは、嫁入り早々かようなことになり、我が身の至らなさを恥じておりまする。何卒、姑上様をお責めになりませぬよう、伏してお願い申し上げまする」
志鶴はまた、深々と平伏した。
「……志鶴、顔を上げな」
志鶴の傍らに来た多聞がやさしくその肩を取り、面を上げさせた。
だが、志鶴にはもし機があらば、これだけは云うておきたいことがあった。
「これしきのことは、北町から南町に嫁入ることになった時分から、元より覚悟の上にてござりまする。実家の佐久間もそのつもりでわたくしめを嫁に出してござりまする。どうか……お気になりませぬよう」
志鶴のあまりにも潔い口上に、源兵衛も多聞も言葉を失った。
その凛と一本筋の通った姿は、巷での噂の「お高くとまって鼻持ちならない『北町小町』」とは真反対であった。
目の前には、正真正銘の「武家の女」がいた。
多聞はふっ、と笑った。「浮世絵与力」の不敵な笑顔だ。
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