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五段目
閨の場〈壱〉
しおりを挟むあの夜以来、多聞から呼ばれることはなかった。相当、怒っておられるのだ。
是っ非もない。祝言を挙げて夫婦になったというのに、志鶴は「妻」らしいことをなに一つしておらぬのだから。
——実際には、姑の富士から「させてもらえぬ」のだが……
多聞から閨に呼ばれぬとなると、同じ家に住んでおるにもかかわらず、顔を合わせることもなかった。
姿を見なくなって、幾日経ったことだろう。
そもそも、「夫」とは幾度会うたのか。まだ片手で数えられるほどではないのか。
当然のことながら、人の妻になったはずの志鶴はまだ生娘であった。
——まさか、かような暮らしになろうとは……
志鶴はできることをしようと心に決めた。
どうせ、話し相手もおらず、昼間は暇を持て余しておるのだから、縫い物でもいたそうと思った。
実家から持たされた木綿の反物を手に取る。
——身に纏ってもらえるかはわからぬが、旦那さまの浴衣でも縫ってみてござろうか。
多聞は、長身の兄の帯刀より身丈がさらに一寸(約三・三センチ)ほどありそうだった。
兄には幾度も着物を縫ったことがあるから、寸法は心得ている。
——旦那さまは肩幅がしっかりして、手脚が|長う見えたゆえ、念のため裄丈と褄下は兄上のよりも一寸半(約五センチ)ほど出しておこうか。二寸(約六・六センチ)では長すぎるでござろう。あとは兄上と同じでござんしょう。
祝言では、恥ずかしくて夫となる人の顔が見られなかったのに、顔から下は結構見ていたのだということを、志鶴は今気づいた。
さようなことを少し意外に思いつつ、早速、巻かれた反物の布地を広げて、物差しで寸法を測り、待ち針で印をつけていく。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
その夜、久方ぶりに多聞から寝間へ呼び出された。
あの夜以来、互いに顔すら見ていなかった。
この間に、多聞が御奉行に上申をしていたのかもしれない。いくら御奉行でも、とても夫婦とは云えぬかような様を存じてくだされば、匙をお投げになるはずだ。
——今宵こそ、旦那さまから「引導」を渡されるに違いない。
志鶴は、なにを云われたとしても、武家の女として見苦しい姿だけは見せぬよう、それだけを努めた。
「……旦那さま、志鶴にてござりまする」
「入れ」
短い応えが返ってきて、志鶴はすぅーっと襖を開ける。
夜具の傍らに胡坐で座した多聞がいた。
「入って参れ」
——やはり、話があるのだな。
今までは、廊下から部屋の中にすら入れなかったということに、志鶴は今さらながら気がついた。
志鶴は膝を進めて寝間に入ると、くるりと背を向けて襖を閉めた。
「近う、寄れ」
志鶴は一礼して、更に膝を進めた。
だが——
「……なにをしておる。もそっと近う寄れ」
そう云いながら身を伸ばした多聞が、志鶴の腕を取った。
その刹那、志鶴の身体がふわり、と浮いた。
——志鶴は多聞の腕の中にいた。
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