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四段目
北町小町の場〈弍〉
しおりを挟む「……強情なおなごでござる。無体な御奉行の世迷いごとで、来とうもない『南町』に連れて来られたおぬしを、今の今まで不憫に思うてござったが」
多聞は呆れ果てた声音で告げた。
「町家の連中から『北町小町』などと持ち上げられたばかりに、気位高うて高飛車なおなごじゃという噂は本当であったということでござるな」
志鶴の身が固くなる。なにを置いても一番、心が冷える言葉であった。
——旦那さまもにも、さような噂が耳に入ってござったか。
「もう、よい……とても……気にはなれぬわ」
多聞の冷え切った声が閨に響く。
「……下がれ」
目の端に映る嫁入りに支度した色鮮やかな夜着が、行燈の仄かな明かりに、しらじらしく浮かび上がる。
「御寝みなされませ……旦那さま」
そう云って志鶴が顔を上げたとき、多聞はすでに背を向けていた。
——今日は一日、まともに夫の顔すら見られなかった。
志鶴は静かに襖を閉めた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
志鶴は「北町小町」などと呼ばれて、うれしいと思うたことなど、ただの一度もなかった。
「北町」でも、志鶴と顔を合わすたびに騒めく男たちとは裏腹に、おなごたちからは意地悪く妬まれた。
おなごばかりで集う寄り合いの際には、年嵩の者から、わざと聞こえるように、
「町家で評判じゃと思うていい気になっておる」
「町家で色目を使うておる証じゃあるまいか。はしたなきおなごじゃ」
と、幾度も陰口を叩かれた。
同じ年頃の娘たちからは、
「うちの母上が、志鶴ちゃんと比べられて縁遠くなると困る、と申すゆえ」
と云われ、いつしか一緒にいることさえ避けられるようになった。
挙句には、嫁入った先で夫からまでも蔑まれるようなことを云われてしまった。
我が寝間へ戻るために、渡り廊下を通っていた志鶴はふと足を止め、中庭の上空を見上げた。
ちょうど、暗い雲がみるみるうちに、白い月を覆い隠していくところだった。
「わたくしめに『北町小町』などと名づけた者を恨みまする……」
志鶴は思わず呟いた。
「……『三年』は、長うございまする」
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