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二段目
日本橋の場
しおりを挟む南町奉行所の年番方与力の跡取りである嫡男と北町奉行所の年番方与力の娘の縁組が整った。
善は急げ、とあれよあれよという間に祝言の日が決まる。当家の者たちよりも「気の変わらぬうちに」と、南北の各奉行の方が前のめりだった。
それに伴って、支度すべきことがわんさか押し寄せてきた。
とりあえず、日にちがかかりそうなものから片付けることにして、本日は祝言のための着物を見に、志鶴と母・志代は供を連れて日本橋まで来ていた。
「……やたらと気疲れしまするなぁ」
志代が袂から手拭いを出して、汗をぬぐう。
平生は閑居な武家の組屋敷で、日がな一日を過ごす武家の女たちにとっては、往来の忙しない人いきれだけでも気後れするのだ。
ただ母の場合、志ろき屋で次から次へと出された着物を、嬉々として志鶴の肩にあてがうのに、はしゃぎ過ぎたからであろうが。
嫁ぎ先がどこであれ、やはり一人きりの娘の祝言のための支度は楽しいのであろう。
その横で、志鶴は人知れず、深いため息を漏らした。祝言が決まって以来、幾度このようなため息を漏らしたことであろうか。
嫁ぐ日までに、せめて今一度……
——「あの方」のお姿を見とうござりまする。
だが、それは志鶴の意志ではどうすることもできなかった。
なぜなら「あの方」が今どこでなにをしているのかは、だれにもわからなかったからだ。
そのとき、太鼓橋にさしかかった。
御公儀(江戸幕府)によって架けられたその御入用橋は、長さが三十七間(約六十七メートル)幅は四間(約七メートル)という広さにもかかわらず「ふる雪の白きをみせぬ日本橋」と川柳にものされるほど、行き交う人々で埋め尽くされている。
なのに、向こうから歩いてくる、ある男女の姿だけは、はっきりと見えた。
歌舞伎役者のような粋筋の男と、その男に首ったけになっている歳上の商家の後家の女という風情の二人だった。
腕を絡めた二人は、こんな混み合った道中なのに、女の方が、
「……ぃやだよぉ、吉さぁん……こんなとこでぇ……やめとくれよぉ」
と云いながらも、時折「口吸い」しながら歩いていた。
忙しくて他所の者など頓着せぬ江戸の者といえども、「起っきゃがれっ、この暑気で気でも触れやがったか」と流石に呆れ顔だ。
志代は着物の袖を口に寄せ、顔を背けている。
その刹那、志鶴の両眼が大きく見開かれた。
——「あの方」だった。
切れ長の目に、スッと鼻筋が通っていて、ちょっと薄めの唇。
紛れもなく……「あの方」だ。
嫁入る前に、ほんの一目でも逢えてよかった、と志鶴は思った。
そして、「あの方」がご無事でお過ごしであることを神仏に感謝した。
——「あの方」はわたくしが、とうとう嫁ぐことをご存知でござろうか。
そのとき、志鶴と「あの方」がすれ違った。「あの方」は志鶴をちらりとも見なかった。
——たぶん……ご存知であろう。
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