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大序

南町奉行所の場

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   南町奉行所で年番方与力よりきを務める松波まつなみ 源兵衛げんべえは、南町奉行からの呼び出しを受けて、改まった面持おももちで待っていた。

『御奉行の手が空くまで、執務をされておる座敷の外で待つように』と、奉行を側仕そばづかえする公用人である内与力から申し渡されている。
   その内与力は、娘の寿々乃すずのの夫である水島みずしま 織部おりべであった。

「織部、此度こたびの呼び立ては、やはり先般の同心たちの小競り合いの件か」
   源兵衛は娘婿に尋ねた。

舅上ちちうえ、我が口からはなんとも」
   口が固いのが信条の「内与力」は、苦笑いした。
「ただ……」
   織部の目がほんの刹那、悪戯いたずらっぽい光を放ったように見えた。
「寿々乃を先にめとっておいて、ようござったと安堵いたしておりまする」
   二人の間には既に、男女一人ずつの子どもがいた。

「松波様、お待たせつかまつった。……お入りくだされ」
   そうこうしているうちに、隔てられていたふすまが開き、源兵衛が中に呼ばれた。


富多とみた 能登守のとのかみ様、年番方与力 松波 源兵衛にてござりまする」
   座敷に入った源兵衛は平伏した。

「おお、松波。此度こたびは忙しいところ呼び立てして、かたじけのうござった。……おもてを上げよ」
   南町奉行の富多 能登守は鷹揚に云った。

「そちを呼んだのはほかでもない。先般の、我が南町奉行所と北町奉行所の同心たちのいさかいについてじゃ。厄介なことに……御老中のお耳にも入ってしもうてな」
   富多 能登守の顔が曇った。

「北町の御奉行と共に、御老中に呼び出されてな。このままでは、御用にも差しさわりが出るやもしれぬゆえ、今のうちになんとかせよ、というお達しじゃ」

——やはり、そうであったか。

「年番方をつかまつる、松波の不徳の致すところにてござりまする」
   再び、源兵衛は平伏した。

「そう思うのであらばな、松波。
そちの力を、とも借りとうござることがあるのじゃが」

   御奉行の方からとはめずらしい。大概たいがい「松波、良きに計らえ」と丸投げ——ではなく「お任せ」になるのに。

「この松波 源兵衛でお役に立てるのであらば、なんなりとお申しつけくだされ」  
   源兵衛は面を上げた。

「よう云うた、松波。実は、北町の御奉行とも話しうたんじゃが」

   互いの与力・同心同士の、ろくに口もきかぬほどの犬猿の仲は目に余るほどだというのに、それらをべる奉行同士の仲は、意外なことにさほどでもないのだな、と源兵衛は思った。

「だれかが先陣を切って『親戚付き合い』をする間柄になれば手っ取り早いと思うてな。それも、みなの『手本』となる御役目の者にな」
   富多 能登守は、ぐっ、と身を乗り出した。

「どうだ、松波。……そちのせがれを、北町の年番方与力の娘と縁組させてみぬか」

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