もう一度、愛してくれないか

佐倉 蘭

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Chapter 9

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「おい、紗香。落ち着いて、よく聞いてくれ」
 おれは紗香の両肩を、がっ、とつかんだ。

「その写真に写ってるという、おれと一緒にいる相手は……おまえだ」

 紗香の両目がめいっぱい見開かれる。みるみるうちに、また、じわっと涙がこみ上げてくる。
「……なんで……そんなウソつくの……?」

「ウソじゃない」
 紗香の瞳を見て、きっぱりと言い切った。
「この前の日曜日に、おまえとラブホに入ったときに撮られたんだ」

「あっ……」
 途端に、紗香の頬が真っ赤に染まった。
「だって…だって、真也さん、なんだかずいぶん慣れてたんだもん。スムースに部屋まで行けちゃったり、部屋に入ったらすぐにバスルーム見つけてお風呂のお湯を入れに行っちゃったりして……」

 ——ラブホなんて行ってたのは、紗香とつき合う前だから、何十年も昔の話だよ。
 部屋を選ぶパネルを押したら自販機みたいな取り出し口にガチャンって鍵ごと落っこちてきたり、清算するときには透明なカプセルみたいなところに現金を入れてシューターで送ったりしてた、まだ学生だったバブルの時代の頃さ。

「どうしてもおまえが信じられないんだったら、部下に言って、その『写真』を送ってもらうが。……自分の目で確かめたいか?」
 紗香は首をふるふるふる…と横に振った。

 ——いいぞ。……「提案」は成功だ。
 おれは心の中でガッツポーズした。
 ——よしっ、ダメ押しだ。

 おれはスウェットのポケットから、スマホを取り出した。しばらくタップを繰り返し、スマホを耳につける。


『……あ、専務、先程は失礼しました。お疲れ様です。仕事でなにかありましたか?』
「おい、伊東」
 抑えようと思っても、つい地獄の底を這いずり回るような低い声になる。

「よくも、うちのヤツに、とんでもねえウソ八百を吹き込みやがったな?」
『えっ…あっ…いやっ…そのっ……』
 スマホの向こうで、焦っている様子がわかる。

「おまえがスリートップのPCで見た女はな……」
 おれは息を吸った。

「……おれの嫁なんだよっ‼︎」
と、大音声だいおんじょうで怒鳴ってやった。

『えっ……えええええぇーーーっ!?』
と、負けず劣らずの大音声が返ってきた。

「……るっせえっ!伊東!? てめえ、おれの鼓膜をぶち破る気かよっ!?」
 耳がキーンとする。

『す…すいませんっ、専務っ!』
 たぶん、向こうも同じだと思うが……

「おまえ、画面をちゃんと見なかったのかよ?どう見ても、あれは紗香と同一人物だろうが」
 少しトーンを落とすが、その代わり凄みを出す。

『いやっ…まさか、東京にいてはる奥さまだとは思いもよらへんくて……画像ではどう見ても三十代後半にしか見えへんし……実際に奥さまを見たときには似てるなぁーとは思ったんすけど、専務の好みのタイプってブレへんねんなー、ってくらいにしか……』
 ははは…と引き攣った笑いが聞こえてくる。

「……そうか。『実物』は三十代後半には見えなかった、というわけだな?」
 意地悪く、訊いてみる。

『いやいやいや、そういうことやなくて、じゅうぶん三十代後半っす!それから、めっちゃ綺麗なだけでなく、性格もかわいい人っす!! お世辞じゃなくて、マジっすよっ。うちの家族がみんなそう言うてますっ』

 ——ふん、あたりまえだ。このおれが、身も心も惚れ抜いたオンナだからな。

『せやけど、あの写真、いつ撮られたんっすか?奥さんが来はったん、先週ですやろ?』
「この前の日曜日だ。月曜日にあいつらから見せられてた写真は、その前の日に撮られたものさ」

『ひいいぃっ!? はっ、速っ!? こっ、怖っ!?』
 伊東の顔はムンクになっているに違いない。
 ——おまえも厄介な写真を撮られないように、気をつけろよ。


『……専務』
 伊東が神妙な声になった。
『早とちりして、申し訳ありませんでした。うちの家族にもしっかりと説明しておきます』

 スマホの向こうでは土下座してるかもしれない。ああ見えて、仕事はデキるヤツだから「謝罪」する姿はレアものだ。

 だが、その舌の根も乾かないうちに、声を潜めて訊いてきた。
『……それにしても、専務、ええ歳して、自分の嫁をラブホに連れ込まはったんっすか?』

 ——うるさいっ、大きなお世話だっ!だから、言いたくなかったんだっ!!


 そのあと、おれから代わった紗香に、伊東が会社であったことを「正しく」説明して謝罪した。

 紗香は決して怒ることはなかった。
   会社のみんなから『三十代後半にしか見えない』と言われていたというくだりで、大いに照れながらも大いに喜んでいた。

 ……伊東は仕事がデキるだけあって、ミスったときのフォローも上手うまかった。

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