93 / 102
Last chap. あたしの愛しい人
⑦
しおりを挟む諒くんの口元が、ふわっと綻んだ。不意に、あたしの頬が大きな手のひらに包まれる。
諒くんの顔が落ちてきて、彼のくちびるがあたしのくちびるにふわっと触れた。
——運転手さんのバックミラーには、バッチリ映ってるだろうなぁ。
あたしの頬は、たちまち気恥ずかしい色に染まっていることだろう。
「まさか自分が、タクシーの中でこんなことをするなんてな」
諒くんがあたしの耳元で、息だけで囁いた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
諒くんが住む部屋は公務員宿舎にしては築浅のマンションだったが、独身者に割り当てられるワンルームだった。
「結婚すれば、ここから出なきゃいけないが、どうする?家族用を申請しようか?……でもなぁ」
——えぇ、言いたいことはわかります。「国家公務員の娘」なので。
「築四〇年以上の宿舎が割り当てられることもありますよね?」
都内で破格の家賃だということが国民の皆さまにバレて以降、削減されるようになった「国家公務員宿舎」だが、それでもまだ「生き残っている」古参の宿舎がある。
「まぁ、耐震基準に満たないから、取り壊される方向ではあるけどね」
諒くんが肩を竦めて苦笑する。
「えっと……破格の家賃はすっごく魅力的なんですけど、自治会の役員とか、職場に直結した関係でのご近所のおつき合いとか……そういうのが、ちょっと……」
母親の「苦労」を見てきたからだ。今の時代はあの頃とは違う、とは思いたいけれど。
「……わかった。不動産屋へ行って、民間の賃貸物件を早急に探そう」
諒くんはそう言ってあたしの頭をぽんぽんした。
「やっぱ『事情』がわかってるのは手っ取り早くていいな。安さに目が眩んで入ったはいいものの、奥さんからグチられて困り果ててる人たちを見かけるからさ」
諒くんはニヤッと笑った。
「……でも、仕事が忙しいわりには、お部屋はそんなに荒れてないですね?」
あたしはワンルームを見渡しながら言った。
先刻、部屋に入るなり諒くんが、
『まさか、ななみんが部屋に来るとは思わなかったから……』
と、めずらしく焦りながら、床に散乱する衣類を片っ端からドラム式の洗濯機へ放り込んでいった。
ベッドとともに置かれたローテーブルには郵便物が山積みになっていたけれども、簡易なキッチンは使った様子もないほど、きれいなままだった。
「あぁ、うちで料理なんかしたことないからね。ここのところはずーっと三食ともコンビニ弁当さ。それに『会社』関係のだれに見られるかしれやしない『社宅』に、むやみやたらに引っ張り込んでつくってもらうわけにもいかないしな」
——その女性は、あくまでも「遊ぶ相手」ってことですね?
あたしの顔が急速に曇っていき、心の底からなんだか得体の知れない沸々としたものが湧き上がってくる。
「ななみん?……どうした?」
諒くんがちょっと屈んで、あたしの顔を覗き込む。
「なんでもないですっ」
あたしが、ぷいっ、とそっぽを向くと……
「なんだ……嫉妬か?」
諒くんが機嫌よさげな声で、あたしをふんわり抱きしめた。
——すっかりお見通しの図星、ってわけだ。
「だから、ななみん、今日はだれに見られてもいいように『婚約者』のきみを引っ張り込んだ」
——もおっ、諒くんてば、ずるいっ!
諒くんのくちびるが近づいてきて、あたしのくちびるに、ちゅっ、と触れる。
「ななみん、もう我慢できない……いいよな?」
諒くんがローテーブルの向こうにあるベッドへとあたしを誘う。
「えっ……ちょ、ちょっと待って。せめて、シャワーを浴びさせて……」
今日一日会社で働いて、しかも(赤木さんに「強制的」に連れ出されたとはいえ)呑みにまで行ってるのだ。
それに、赤木さんに触れられたところをちゃんと「浄め」てから、諒くんと愛し合いたかった。
「悪いけど、もう待てない」
諒くんが横長スクエアのリムレスの眼鏡を外す。
「どうせ、海鮮丼すらまだ食ってない『フライング』だしな」
眼鏡越しではない裸眼のままの瞳に、先刻初めて見た妖しい光が、きらり、と走る。
「シャワーなら……あとで一緒に浴びよう」
1
お気に入りに追加
110
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。


社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
カタブツ上司の溺愛本能
加地アヤメ
恋愛
社内一の美人と噂されながらも、性格は至って地味な二十八歳のOL・珠海。これまで、外国人の父に似た目立つ容姿のせいで、散々な目に遭ってきた彼女にとって、トラブルに直結しやすい恋愛は一番の面倒事。極力関わらず避けまくってきた結果、お付き合いはおろか結婚のけの字も見えないおひとり様生活を送っていた。ところがある日、難攻不落な上司・斎賀に恋をしてしまう。一筋縄ではいかない恋に頭を抱える珠海だけれど、破壊力たっぷりな無自覚アプローチが、クールな堅物イケメンの溺愛本能を刺激して……!? 愛さずにはいられない――甘きゅんオフィス・ラブ!
わかばの恋 〜First of May〜
佐倉 蘭
青春
抱えられない気持ちに耐えられなくなったとき、 あたしはいつもこの橋にやってくる。
そして、この橋の欄干に身体を預けて、 川の向こうに広がる山の稜線を目指し 刻々と沈んでいく夕陽を、ひとり眺める。
王子様ってほんとにいるんだ、って思っていたあの頃を、ひとり思い出しながら……
※ 「政略結婚はせつない恋の予感⁉︎」のネタバレを含みます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる