お見合いだけど、恋することからはじめよう

佐倉 蘭

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Last chap. あたしの愛しい人

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   諒くんの口元が、ふわっとほころんだ。不意に、あたしの頬が大きな手のひらに包まれる。

   諒くんの顔が落ちてきて、彼のくちびるがあたしのくちびるにふわっと触れた。

——運転手さんのバックミラーには、バッチリ映ってるだろうなぁ。

   あたしの頬は、たちまち気恥ずかしい色に染まっていることだろう。

「まさか自分が、タクシーの中でこんなことをするなんてな」

   諒くんがあたしの耳元で、息だけでささやいた。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   諒くんが住む部屋は公務員宿舎にしては築浅のマンションだったが、独身者に割り当てられるワンルームだった。

「結婚すれば、ここから出なきゃいけないが、どうする?家族用を申請しようか?……でもなぁ」

——えぇ、言いたいことはわかります。「国家公務員の娘」なので。

「築四〇年以上の宿舎が割り当てられることもありますよね?」

   都内で破格の家賃だということが国民の皆さまにバレて以降、削減されるようになった「国家公務員宿舎」だが、それでもまだ「生き残っている」古参の宿舎がある。

「まぁ、耐震基準に満たないから、取り壊される方向ではあるけどね」
   諒くんが肩をすくめて苦笑する。

「えっと……破格の家賃はすっごく魅力的なんですけど、自治会の役員とか、職場に直結した関係でのご近所のおつき合いとか……そういうのが、ちょっと……」

   母親の「苦労」を見てきたからだ。今の時代はあの頃とは違う、とは思いたいけれど。

「……わかった。不動産屋へ行って、民間の賃貸物件を早急に探そう」

   諒くんはそう言ってあたしの頭をぽんぽんした。

「やっぱ『事情』がわかってるのは手っ取り早くていいな。安さに目がくらんで入ったはいいものの、奥さんからグチられて困り果ててる人たちを見かけるからさ」

   諒くんはニヤッと笑った。


「……でも、仕事が忙しいわりには、お部屋はそんなに荒れてないですね?」
   あたしはワンルームを見渡しながら言った。

   先刻さっき、部屋に入るなり諒くんが、
『まさか、ななみんが部屋に来るとは思わなかったから……』
と、めずらしく焦りながら、床に散乱する衣類を片っ端からドラム式の洗濯機へ放り込んでいった。

   ベッドとともに置かれたローテーブルには郵便物が山積みになっていたけれども、簡易なキッチンは使った様子もないほど、きれいなままだった。

「あぁ、うちで料理なんかしたことないからね。ここのところはずーっと三食ともコンビニ弁当さ。それに『会社』関係のだれに見られるかしれやしない『社宅』に、むやみやたらに引っ張り込んでつくってもらうわけにもいかないしな」

——その女性は、あくまでも「遊ぶ相手」ってことですね?

   あたしの顔が急速に曇っていき、心の底からなんだか得体の知れない沸々としたものが湧き上がってくる。


「ななみん?……どうした?」

   諒くんがちょっと屈んで、あたしの顔を覗き込む。

「なんでもないですっ」

   あたしが、ぷいっ、とそっぽを向くと……

「なんだ……嫉妬か?」

   諒くんが機嫌よさげな声で、あたしをふんわり抱きしめた。

——すっかりお見通しの図星、ってわけだ。

「だから、ななみん、今日はだれに見られてもいいように『婚約者』のきみを引っ張り込んだ」

——もおっ、諒くんてば、ずるいっ!


   諒くんのくちびるが近づいてきて、あたしのくちびるに、ちゅっ、と触れる。

「ななみん、もう我慢できない……いいよな?」

   諒くんがローテーブルの向こうにあるベッドへとあたしをいざなう。

「えっ……ちょ、ちょっと待って。せめて、シャワーを浴びさせて……」

   今日一日会社で働いて、しかも(赤木さんに「強制的」に連れ出されたとはいえ)呑みにまで行ってるのだ。
   それに、赤木さんに触れられたところをちゃんと「浄め」てから、諒くんと愛し合いたかった。

「悪いけど、もう待てない」

   諒くんが横長スクエアのリムレスの眼鏡を外す。

「どうせ、海鮮丼すらまだ食ってない『フライング』だしな」

   眼鏡越しではない裸眼のままの瞳に、先刻さっき初めて見た妖しい光が、きらり、と走る。


「シャワーなら……あとで一緒に浴びよう」

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