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Chap.6 元カレの赤木さん 2
①
しおりを挟むその日の「秘書室」は相変わらずの重苦しさだった。
彩乃さんが副社長の執務室にはほとんど行かず、ますます思いつめた顔で、連日ここであたしたちと同じ業務を行っているからだ。
今は副社長に来客だということで、副社長室へ赴いているが……
「……彩乃、副社長ともう一緒に住んでるわりには、ずいぶん拗れてるみたいね?」
誓子さんは顔を顰めながら言った。
彩乃さんは結納を交わしたあとすぐに、義父母になる社長と奥様もいる副社長の実家で、同居を始めたそうだ。
「誓子さん、彩乃さんからなにか聞いてます?」
あたしは上目遣いで尋ねた。
「あの口の固い彩乃が、べらべらしゃべるわけないでしょ?もし、この結婚が副社長の『オンナ絡み』でどうなるかわからない、なんて外部に漏れでもしたら、この『幸せな業務提携』の先行きが不透明かも、って情報だけで双方の会社の株価が一気に急落するかもしれないのよ?……そうなると、投資家はもちろん影響を受けるだろうけど、従業員だってリストラしなくてもいい人までその対象になったりして、いろんな人たちの人生を狂わすことになるわね」
——ひえええぇっ。「政略結婚」って怖ろしい。
彩乃さんも副社長も、そういう環境の中で生きてるんだ。
うちの父親は、世間では「エリート官僚」って持て囃されてはいるけれど、所詮は公務員で一般ピープルの端くれだ。
そんな「普通の環境」に生まれついたことに心底感謝した。
「七海も、なにか心配事があるんじゃないの?」
誓子さんがじろり、とあたしを見た。
「わたしには彩乃とどっこいどっこいの、どんよりとした憂鬱な顔に見えるんだけどね?しかも……なぜか彩乃と同じ日から」
——うっ、やっぱ、この人鋭い。
だけど誓子さんは、桃子さんが異動したあとに総務からやってきた人が寿退社した代わりに中途採用されて入社したため、赤木さんとの経緯をまったく知らない。それよりさらにあとに出向してきた彩乃さんも同様だ。「説明」するとなると、イチから言わないといけない。
——それは、ちょっと、メンタル的にキツい。
するとそのとき、秘書室のドアが開いて、彩乃さんが血相を変えて飛び込んできた。
「……誓子さんっ!」
何事にもおっとりと構えている彩乃さんが、こんなにあわてている姿は初めて見た。
「どうしたの?彩乃」
誓子さんも目をぱちくりさせている。
「早くっ、来てくださいっ!」
彩乃さんは誓子さんの腕をがしっ、と掴んだ。
「今、副社長の執務室にケンちゃんが来てるんですっ!」
「ケンちゃん」というのは、彩乃さんの幼なじみで、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの(株)ステーショナリーネットのイケメン社長、葛城 謙二氏のことである。
しかも、かつて誓子さんが彼とお見合いをして断られたという「因縁の相手」なのだ。
「えぇっ……だって……わたし……謙二さんから断られた身だし……」
誓子さんは真っ赤になって俯いた。彩乃さんにつかまれていない方の手は、自分の制服のジャケットの端をぎゅーっとつかんで、もじもじしている。
——ええぇっ、ウソでしょう!? あの厚顔無恥な「誠子」さんだった誓子さんが(ややこしいなー)なんと「乙女」になってるじゃんっ!?
あたしは天からの雷に撃たれたかのような衝撃を喰らった。
「誓子さん、よく聞いてください。ケンちゃんの方は、誓子さん側から断られたって言ってるんです」
彩乃さんは誓子さんを見て力強く言い切った。
「ええっ、そうなんですか?」
あたしは思わず叫んだ。
「そうなのよ、七海ちゃん。誓子さんが断られたっていうのは、どうも誤解じゃないかな?……それにね、ケンちゃんは副社長室に入るなり、辺りをきょろきょろ見渡して、どうも誓子さんを探してるみたいなの」
彩乃さんがひさびさに大きな笑顔になった。
「誓子さんっ、よかったですね!」
——あぁ、なんだか自分のことのようにうれしい!
ここのところの、憂鬱でしかたなかった気分が吹っ飛びそうだ。
「さぁ、誓子さん、行きましょう!」
彩乃さんが誓子さんの腕を引っ張った。
「えっ……でっ、でも……わたしっ……」
だけど、誓子さんはまだもじもじと「乙女」っている。
「誓子さんっ、この期に及んで、まだそんなこと言ってんですかっ!? グズグズしているヒマはないんですっ!ケンちゃんが帰っちゃうじゃないですかっ!!」
いつもゆったりと穏やかな彩乃さんが、そう叫んだ次の瞬間……誓子さんを後ろから羽交い締めにしていた。
「さあっ、ケンちゃんに会いに行きますよっ!」
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