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Kapitel 3
⑥
しおりを挟む大広間では、しばしダンスを中断して主宰である某伯爵が企てた「余興」として、サーミの民の少女がJojkを歌っていた。
ヨイクとは、彼らサーミの民に古来より伝承されてきた歌唱である。
彼女の歌は、楽団の伴奏を必要としなかった。それでも、たったひとりの少女から放たれた澄み切った声が、ホール全体に木霊のように響き渡っていた。
それはまるで、真冬の極夜の空を彩る光のカーテン——Auroraを思わせる、天より「降ってきた」聖なる声だった。
『あら、あの子近頃評判の歌い手じゃなくて?確か……リサ、って名前だったと思うわ。最近、国内を巡って歌う宣伝のために写真を撮ったそうよ』
ウルラ=ブリッドが彼女を見て言った。
『画家に姿絵を描かせるのではなくて、技師に写真を撮らせたの?』
グランホルム氏が驚いた。最先端の「写真」は、なかなかの高額なのだ。
リサと呼ばれた歌い手の少女は、遠くOrientの民の血が混じっている言われるサーミの民の特徴からか、ずいぶんと小柄で「美しい」というよりは「愛らしい」というべき幼い顔立ちをしていた。
鮮やかな青と赤で彩られたフェルト地に細やかな刺繍の細工が施されたコルトという膝丈の民族衣装を着て、トナカイの皮で作られたヌツッカートという爪先が羊の角みたいにくるんと巻き上がった長靴を履いていた。
『——あら、厭だ。ごらんあそばせ、辺境人じゃなくて?』
『まぁ、本当。卿も酔狂だこと。なにゆえ、このような華やかな場にあのような下賤な者を?』
『嘆かわしいわ。卿の悪ふざけも、ここまでなさるとさすがに過ぎていてよ』
「高貴な」令夫人や令嬢たちが眉を顰め、大きな羽根の扇で口元を隠してひそひそと囁き合った。興が醒めた、とホールを退席する貴族も少なからずいた。
ところが、少女は最後の歌の♪Den blomstertid nu kommer(花の咲きこぼれるあの季節がやってくる)まで、高らかに歌いきった。
この時季にぴったりな、そしてこの国の民が愛してやまない、夏への讃美歌である。
大いに盛り上がったところで彼女は退き、そのあとはまた楽団がダンスを誘う調べを奏で始めた。
しかし、聞こえてくるのは三拍子の調子をきっちりと守る格調高き円舞曲ではなく、同じ三拍子のはずなのにどこか変速的に聴こえるPolskaであった。
ポルスカとは、もともとは「ポーランド風の音楽」という意であったが、今ではこの国スウェーデンの市井の民が愛する庶民的な音楽のことを指すようになった。
幼い頃から親しんだ陽気でやんちゃな曲調に煽られて、一代貴族である Riddareの家の若者たちが、次々とダンスフロアへと飛び出して行く。
リリも正直いって、内心うずうずしていた。
生まれ育ったイェーテボリの街では、毎年行われるMidsommarの際には、明るく軽快なポルスカの調べに乗って、いつまでも明けぬ白い夜の下、ほぼ夜通し踊るのだ。
そこに、人々の貴賎はない。老いも若きも、富める者も貧しい者も、みな無礼講で一晩中踊り狂うのだ。
『……失礼、あなたをポルスカにお誘いしても?』
不意に、士爵を名乗る青年がリリに手を差し出してきた。
一瞬、思わずその手を取りかけたリリであったが、すぐ隣にはそうはさせない存在があった。
いくら舞踏会とはいえ、近い将来男爵家の一員になる予定の娘が踊るダンスとしては、不適切なのは火を見るより明らかだ。
——グランホルム大尉の御名に傷がつくことはできないわ。
『ごめんあそばせ。私には婚約者が……』
その夜、リリがその手に限らず、だれかの手を取ってダンスフロアでポルスカを踊ることはなかった。
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