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Kapitel 3
④
しおりを挟む『……あの……ヘッグルンド令嬢……?』
リリは訳がわからず、たじろいだ。
『あなたのご尊父オーケ・シェーンベリ氏には、我が父である男爵 ヨアキム・ヴァルデマル・ヘッグルンドおよび男爵領マーロウ領民になり代わり、私 ウルラ=ブリッド・ヘッグルンドが厚く感謝の意を申し上げるわ』
『いいえ……そんな……もったいないお言葉……』
リリは恐縮しながら、答礼のカーツィを返した。
『我がヘッグルンド領・マーロウは、北極圏に面した土地のため農業に適さず、かと言って近隣のシェレフテオのように鉄鉱石などの鉱産資源が採掘できるでもなく……本当に、森林しかないところなの。だから、男爵・グランホルム閣下のご紹介で父がシェーンベリ氏とのつながりを得て、我が領地でも林業に活路を見いだせて、おかげで貧しかった領民たちに仕事を与えることができたのよ』
シェーンベリ商会では、スウェーデン北部のヴェステルボッテン地方にあるグランホルム領ノーショーの木材だけでは賄えないときは、その隣にあるヘッグルンド領マーロウからも木材を搬出していた。
グランホルム領にしろ、ヘッグルンド領にしろ、「新事業」への新たな従事者の多くは、このスカンディナヴィアの北極圏に古来より住まう民、サーミ人だった。
昨今、この国の政府は彼らに対して、トナカイを遊牧させながらコタと呼ばれる移動式のテントで寝起きして暮らす生活をやめさせて、町に出て職に就いて定住する「同化政策」を推し進めていた。
『それから……あなたの「お相手」が、アンドレでなかったことにも、御礼申し上げるわ』
当初、男爵・グランホルム家とシェーンベリ商会との間に「婚姻」話が持ち上がったとき、嫡男・アンドレ氏とリリコンヴァーリェ嬢との縁組のはずであった。
シェーンベリとの「絆」をより強固なものにするためなら、アンドレ氏とウルラ=ブリッド令嬢が幼少の頃から結んでいた婚約など反故にしてしまっても構わないと、男爵・グランホルム閣下は思っていたからだ。
貴族階級では「当家の事情」により「相手が変わる」のはよくあることだ。
しかし、中産階級であるリリの父は「生木を裂くように二人を別れさせて娘を割り込ませても、おそらくだれも幸せにはなれないだろう」と考え、まだ婚約者のいなかった二男のビョルン氏を望んだ。
『いいえ……私は……本当になにも……ただ、父の意向に沿っただけで……』
リリは恐縮しきりであった。
『それにね、今夜のこのドレスも帽子も扇子も、あなたのお父様が「貴族様のパーティに慣れない娘のためにお力添えを賜りたい」とおっしゃって、私に贈ってくだすったのよ。英国で今、とても流行っているデザインなんですってね?』
そう言って、ウルラ=ブリッド令嬢はうっとりと自分の石榴石色のバッスルスタイルのイブニングドレスを眺めた。
装飾品の宝石類だけは、男爵・ヘッグルンド家に代々受け継がれているものをつけていたが、あとはすべてシェーンベリによって用意された「最新の英国スタイル」だった。
『クリノリンの不要なドレスがこんなにも快適だなんて、思いもよらなくてよ』
ウルラ=ブリッド令嬢は快活に笑った。
『私ね、子どもの頃から乗馬が大好きなのよ。普段はしょっちゅう乗馬服でいるものだから、堅苦しいドレスは苦手なのだけれども、こういうデザインなら、軽くて動きやすいからいいわね。……あなたは、乗馬をなさって?』
『いいえ、わたしは……』
リリは首を左右に振った。
「貴族の御令嬢」には乗馬を嗜む人がいると家庭教師に言われて、何度か試してはみたのだが、馬上があまりにも高く感じられて怖くなってしまい、すぐに降りていた。
『あら、そうなの。でも、これからはおやりになった方がいいわ。ビョルンも子どもの頃から乗馬が大好きなのよ。あなたも始めたら、喜んで遠乗りに連れて行ってくれてよ?』
——グランホルム大尉が望まれるのなら、たとえ怖くても、また挑戦するしかなさそうね。
『アンドレだけではなくて、ビョルンも私にとっては幼なじみなの。だから、彼のことでなにか知りたいことがあったら、なんでも聞いてちょうだいな』
ウルラ=ブリッド令嬢は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
だが、しかし——
『物心がついたときにはもう、私とアンドレは婚約者同士だったけれども……あなたが現れて、人間の人生って、なにがきっかけとなって、どう転ぶかわからないものだと思ったわ』
ウルラ=ブリッド令嬢は一瞬、遠い目をした。
『もし、あなたがアンドレと結婚することになって、彼と私の婚約が解消されていたとしたら……』
一人の男と永い間婚約していた彼女が、相手側からいきなりそれを破棄されたとしたら、その後はかなり不利になることだろう。
おそらく、同年代の青年貴族の妻になるのは望むべくもない。
格だけはうんと上の貴族であろうと、かなり歳上の寡夫の後妻におさまるのが関の山だろう。
もしくは、破棄した側が「責任を取る」というかたちで——
『私の新しい婚約者には……ビョルンがなっていたかもしれないわね』
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