谷間の姫百合 〜もうすぐ結婚式ですが、あなたのために婚約破棄したいのです〜

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
7 / 25
Kapitel 2

しおりを挟む

「い、いきなり……な、なにを言い出すの?」
   ヘッダが、青ざめた顔に唇を震わせて娘を見た。

「おかあさま……私は本気よ」
   リリは、母親をまっすぐ見据えて告げた。

「だって……そんな……結婚式は今月なのよ?」

   グランホルム大尉とリリの挙式は今月末の Midsommar夏至祭の一週前に予定されていて、それはあと二週間後に迫っていた。

「ごめんなさい……でも、どうしても……私には無理なのよ……」

   先ほどまでの穏やかで和やかな雰囲気は、今やすっかり過去のものとなっていた。

「まさか……好きな男でもいるのか?」
   ため息とともに、ラーシュが問うてきた。

「そんなひとなんて、いないわ」
   リリは、即座に否定した。

   そもそも、異性に出会う機会すらないのだ。貴族の子女と違って「社交シーズン」がなく、教会での礼拝や奉仕活動ボランティア以外には街へ出かけることもない。
   日々、やしきの中で本を読んだり縫い物や編み物をしたりして過ごす生活をしている。

「だったら……なぜ……今になって……」
   ヘッダは消え入りそうな声でつぶやいた。

   嫁ぐ前は父親に、嫁いだ後は夫に従って、家族のために生きることに何の疑いも持たぬ彼女には、父親の意向にそむこうとしている娘の「所業」がさっぱり理解できなかった。

「本当の理由はなんだい、リリ?……どうして、グランホルムとでは『無理』だと思うの?」

   今度はなだめるような感じで、ラーシュが尋ねてきた。

「だって……住む世界が違うわ。彼はHedrande貴族の令息だもの」

「『住む世界』って……彼は爵位も継がないし、HedrandeというよりはSoldat軍人だけどねぇ……」

「彼がどういう人なのかなんて、私にはわからないわ。なぜなら、婚約が決まったあとも、ほとんど顔を合わせたことがないのだもの。彼の方こそ、私のような商人の娘などと結婚なんかしたくないのではなくて?」

「確かに、彼は軍功をあげるために、この三年間ほとんど賜暇に目もくれず、軍務に没頭していたことは否めないけれどね」

「だったら……いっそうのこと私なんかより、軍の中でもっと出世できそうな上司の息女とでも結婚なさった方がよろしくて?」

   リリはその翠玉色エメラルドグリーンの瞳をかげらせて、じっと兄を見つめた。

「これは……彼のためでもあるのよ」


「——リリ」

   それまで黙っていたオーケが、口を開いた。

「覚悟はできてるんだな?」

   リリは自分を励まして、父親の方へ向き直った。

「理由はどうあれ、こんな間際になって結婚を取りやめようと言うのだ。しかも、相手は貴族であり軍人でもある。顔を潰すことはもちろん、向こうのプライドも粉々になるだろうな」

   貴族や軍人にとって、自尊心プライドが粉砕されるのは、なににも増して屈辱であろう。

「もちろん考えもなしに、こんな大それたことは言えないわ。おとうさまがこれまでに築き上げてきた信頼を失墜させることも……家族には心配だけでなく、多大なる迷惑をかけることもわかっているつもりよ。エマとの結婚を来月に控えたラーシュのことも気がかりだわ。……それでも」

   そして、リリは父に向かってきっぱりと言い切った。

「私は修道院に入って、イエス様の花嫁としてSister修道女となるわ。そして、その後はグランホルム大尉に日々懺悔をし、また世の中の人たちのために毎日マリア様にお祈りをして、私にできうるかぎりの奉仕活動をしながら生きて行くつもりよ」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ

曽根原ツタ
恋愛
オーガスタの婚約者が王女のことを優先するようになったのは――彼女の近衛騎士になってからだった。 婚約者はオーガスタとの約束を、王女の護衛を口実に何度も破った。 美しい王女に付きっきりな彼への不信感が募っていく中、とある夜会で逢瀬を交わすふたりを目撃したことで、遂に婚約解消を決意する。 そして、その夜会でたまたま王子に会った瞬間、前世の記憶を思い出し……? ――病弱な王女を優先したいなら、好きにすればいいですよ。私も好きにしますので。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫
恋愛
婚約者が中々決まらなかったジゼルは父親らに地味な者同士ちょうどいいと言われ、同じ境遇のフィルマンと学園入学前に婚約した。 それから3年。成長期を経たフィルマンは背が伸びて好青年に育ち人気者になり、順調だと思えた二人の関係が変わってしまった。フィルマンに思う相手が出来たのだ。 その令嬢は三年前に伯爵家に引き取られた庶子で、物怖じしない可憐な姿は多くの令息を虜にした。その後令嬢は第二王子と恋仲になり、王子は婚約者に解消を願い出て、二人は真実の愛と持て囃される。 この二人の騒動は政略で婚約を結んだ者たちに大きな動揺を与えた。多感な時期もあって婚約を考え直したいと思う者が続出したのだ。 フィルマンもまた一人になって考えたいと言い出し、婚約の解消を望んでいるのだと思ったジゼルは白紙を提案。フィルマンはそれに二もなく同意して二人の関係は呆気なく終わりを告げた。 それから2年。ジゼルは結婚を諦め、第三王子妃付きの文官となっていた。そんな中、仕事で隣国に行っていたフィルマンが帰って来て、復縁を申し出るが…… ご都合主義の創作物ですので、広いお心でお読みください。 他サイトでも掲載しています。

働かなくていいなんて最高!貴族夫人の自由気ままな生活

ゆる
恋愛
前世では、仕事に追われる日々を送り、恋愛とは無縁のまま亡くなった私。 「今度こそ、のんびり優雅に暮らしたい!」 そう願って転生した先は、なんと貴族令嬢! そして迎えた結婚式――そこで前世の記憶が蘇る。 「ちょっと待って、前世で恋人もできなかった私が結婚!?!??」 しかも相手は名門貴族の旦那様。 「君は何もしなくていい。すべて自由に過ごせばいい」と言われ、夢の“働かなくていい貴族夫人ライフ”を満喫するつもりだったのに――。 ◆メイドの待遇改善を提案したら、旦那様が即採用! ◆夫の仕事を手伝ったら、持ち前の簿記と珠算スキルで屋敷の経理が超効率化! ◆商人たちに簿記を教えていたら、商業界で話題になりギルドの顧問に!? 「あれ? なんで私、働いてるの!?!??」 そんな中、旦那様から突然の告白―― 「実は、君を妻にしたのは政略結婚のためではない。ずっと、君を想い続けていた」 えっ、旦那様、まさかの溺愛系でした!? 「自由を与えることでそばにいてもらう」つもりだった旦那様と、 「働かない貴族夫人」になりたかったはずの私。 お互いの本当の気持ちに気づいたとき、 気づけば 最強夫婦 になっていました――! のんびり暮らすつもりが、商業界のキーパーソンになってしまった貴族夫人の、成長と溺愛の物語!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...