わかばの恋 〜First of May〜

佐倉 蘭

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初恋

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   あたしが「あの人」に初めて会ったのは、三歳のときだった。

   あまりにも幼すぎてはっきりとは覚えていないけど、母があたしたち兄妹を連れて、父と暮らしていた家を出た年だ。

   母は死別した前夫の忘れ形見である——あたしにとっては兄にあたる——息子を連れて、父と再婚した。

   あたしの父は母よりもすごく若くて、初婚だった。母の前夫とは親戚で、母のことをずっと憧れの目で見ていたらしい。だけど、父の実家からはものすごく反対され、勘当されてしまった。


   そして、あたしたちが幸せに暮らしていたのは、あたしが産まれた頃までだった。

   成長期にさしかかった兄に——父が暴力を振るい始めたからだ。

   兄はどんどん亡くなった実の父親に似ていったそうだ。

   顔だけでなく背格好も声も、そして——その優秀さも……


   だれにも相談できなかった母だが、そのときたまたま開かれた中学の同窓会に出席して、同級生の一人にそのことを打ち明けた。

   その人は大手自動車メーカーの創業者一族の家に生まれ、当時すでに社長に就任していた。
   家の方針で中学までは公立校に通わされていたから、一般庶民の母と同窓なのだ。

   社長はすぐにあたしたちをお屋敷に連れ帰り、奥様に事情を説明してくれた。

   スウェーデン人の父を持つという美しい奥様は、涙ぐみながら『辛かったでしょうに…』とあたしを優しくハグしてくれて、ふんわりといい匂いがしたのをなんとなく覚えている。

   母は社長のお屋敷で家政婦として住み込みで働くことになった。
   さらに、母に弁護士までつけてくれて、あっという間に離婚が成立した。

   長じた兄が弁護士の資格を取得したのは、これがきっかけだったように思う。


   社長の家には息子が一人いた。それが「あの人」だ。

   兄より一つ下の彼は、父親がアメリカ支社長時代に生まれ、社長就任のために両親が帰国する際には一人かの地に残ったため、ニューヨークにある全寮制の学校ハイスクールにいた。

   その彼が、三ヶ月にも及ぶ長い休みを日本で過ごすために帰ってきた。


   美しい母親譲りの、少し癖のありそうな色素の薄いカフェ・オ・レ色の髪。少年らしい、丸顔気味の輪郭。目尻が上がったアーモンドのような二重の目に、すーっと通った鼻筋……

   髪色と同じカフェ・オ・レ色の大きな瞳で、
彼——将吾しょうごさまはあたしをじっと見た。

   そして、やわらかそうなちょっと厚めの唇を開いて、あたしの名前を舌に乗せた。


「……わかば、っていうんだ?」


   王子様ってこの世にほんとにいるんだ、って思ったことを、はっきりと覚えている。

   あたしが生まれて初めて恋に落ちた瞬間だった。

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