30 / 76
Chapter 3
⑩
しおりを挟む襖の向こうには、G◯Pのパーカーに迷彩柄のジョガーパンツ姿の長身の男が立っていた。
前髪を無造作に下ろしていて、年齢は二〇代後半であろうか。
——あら、部屋を間違えたのかしら?
麻琴が声をかけようとすると……
「日本酒が揃ってる店やって聞いとったからな。もうそろそろ、おまえも美咲さんも、ぶっ壊れてえらいことになってる頃やろ?」
その落ち着いた低い声には聞き覚えがあった。
「……迎えに来たったぞ」
「あっ、智くんっ!」
稍が彼のもとへ駆け寄った。
——えぇっ、うそっ⁉︎ この男、青山さんなのっ⁉︎
「智くんっ、やや、失恋した気分やねんっ!」
稍は青山に抱きついて嘆いた。
「なんや、どうした?おれはおまえをフッた覚えはあらへんぞ」
会社では鉄仮面で鉄面皮の青山が、蕩けそうな笑みを浮かべて、稍の頭をよしよし、と撫でる。
——ちょっと、いったい何なの⁉︎ その緩みきったデレ顔はっ⁉︎ ドン引きなんですけれどもっ⁉︎
「智くんと違うよっ、守永課長やんかっ!」
稍が青山の腕の中で叫んだ。
「なんやとっ⁉︎ おまえ……守永さんと浮気しとったんかっ⁉︎」
一瞬にして、青山が大魔神か仁王様のような険しさ一〇〇パーセントの顔になる。
——なんだか、ややこしいことになりそうね……
麻琴は週明けの守永に心を馳せて憂えた。
「あっ、智史くん、今日は大和のお守り役、どうもありがとー!」
場の空気をまるっきり無視して、無邪気に美咲が青山に話しかける。
「あ、いや、気にせんといてください。今は和哉さんが家で大和をみてるんで、おれが車で迎えに来ました」
「あ、ごめんねー。今日は一日、お酒呑まれへんかったねぇ」
それから、まだ少し不機嫌な顔のままの青山が、右手でくしゃっと前髪を搔きあげながら麻琴を見た。
それでも、左手ではふらつく稍の腰をがっちりと支えている。
「こういう格好じゃないと、魚住部長の息子がおれだと気づかないんだ」
——美咲さんもやけどな。
という言葉は、心の中に留めておいた。
「渡辺、悪かったな。稍が酔っ払って迷惑かけなかったか?」
麻琴に対しては標準語の「会社仕様」だ。リムレスの眼鏡こそなかったが、髪を搔きあげられて額が出たその顔はまさしく「青山」だった。
「今夜はややちゃんや美咲さんと一緒に、美味しいお鍋とお酒をいただいて、とっても楽しかったですよ。……青山部長」
——あぁ、わたしは……この男の、なにを見ていたというのかしら……?
「あ、そうだ、渡辺」
青山が相変わらず稍を抱き寄せたまま、麻琴に話しかける。
「松波先生から、うちの情報システム部にストレスチェックの質問シートのフォーマットを依頼された。個人情報や集計結果を人事部の持つデータと連携させるっていうのは、君のアイディアらしいな?」
「そんなご大層なアイディアじゃないですよ」
麻琴は肩を竦めた。そもそもIT関連は苦手で門外漢だ。
「情シスでは稍が担当することになった」
やっぱりね、と麻琴は思った。
「稍にとっては実質『初仕事』になる。おれもできるかぎりフォローするつもりだが、なにか思い悩むようなことが出てきたら、悪いが君も助けてやってくれ」
——本当に、ややちゃんには甘いわねぇ。
そうは思いながらも、麻琴はくすっと笑わずにはいられない。
「大丈夫ですよ。もちろん、ややちゃんのために尽力しますけど、松波先生もいますしね」
とたんに、青山の眉間にシワが寄る。
——イヤだ。青山さんったら、松波先生にまで嫉妬してるの?
麻琴は堪えきれず、声をあげて笑った。
0
お気に入りに追加
55
あなたにおすすめの小説
カラダから、はじまる。
佐倉 蘭
現代文学
世の中には、どんなに願っても、どんなに努力しても、絶対に実らない恋がある……
そんなこと、能天気にしあわせに浸っている、あの二人には、一生、わからないだろう……
わたしがこの世で唯一愛した男は——妹の夫になる。
※「あなたの運命の人に逢わせてあげます」「常務の愛娘の『田中さん』を探せ!」「もう一度、愛してくれないか」「政略結婚はせつない恋の予感⁉︎」「お見合いだけど、恋することからはじめよう」のネタバレを含みます。
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
きみは運命の人
佐倉 蘭
恋愛
青山 智史は上司で従兄でもある魚住 和哉から奇妙なサイト【あなたの運命の人に逢わせてあげます】を紹介される。
和哉はこのサイトのお陰で、再会できた初恋の相手と結婚に漕ぎ着けたと言う。
あまりにも怪しすぎて、にわかには信じられない。
「和哉さん、幸せすぎて頭沸いてます?」
そう言う智史に、和哉が言った。
「うっせえよ。……智史、おまえもやってみな?」
※「偽装結婚はおさない恋の復活⁉︎」のExtra Story【番外編】です。また、「あなたの運命の人に逢わせてあげます」「お見合いだけど、恋することからはじめよう」のネタバレも含みます。
※「きみは運命の人」の後は特別編「しあわせな朝【Bonus Track】」へと続きます。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる