真実(まこと)の愛

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
16 / 76
Chapter 2

しおりを挟む

   麻琴の家柄が良くない、というわけでは決してない。

   祖父の代から三鷹や武蔵野などの地域でTOMITA自動車の販売代理店を経営していて、地元ではちょっとした「名家」である。
(実はそういうことから、ステーショナリーネットに転職する前にTOMITAの系列会社に勤務していたという元セフレの青山に「運命」を感じて、のめり込んでしまった。今となっては麻琴の黒歴史だ。)

   子どもの頃からお金に不自由したことはない。中学から大学まで、私立の学校に通わせてもらった。大学は合格する前からなにかと費用コストのかかる美大だ。

   「家業」は二歳下の弟が継ぐことになっている。彼は大学時代からつき合っていた彼女と結婚して、すでに二児の父である。

   また、金融庁のキャリア官僚に嫁いだ叔母の娘たち——麻琴には従姉妹いとこにあたる彼女たち——も、すでに手堅く国家公務員と結婚していて、父方の同世代の中で「未婚」なのは麻琴だけだった。

   両親はやはり気がかりなのであろう。せめて三十五歳になるまでになんとか片付けたいという思いから、最近躍起になって『堅苦しいものじゃないから、会うだけ会ってみて』と、バレバレの見合い話を持ってくる。

   そんな麻琴に松波の「申し出」は、降って湧いたような「良いお話」だ。きっと両親は狂喜乱舞し、弟夫婦はホッと胸をなで下ろすに違いない。

   にもかかわらず、麻琴にはどうしても「その一歩」が踏み出せなかった。


   一方、江戸の昔、町奉行所で与力を務める幕臣だった松波の家は、御一新のあと明治の世の時流に乗って製糸・紡績会社「松波屋商店」を興した。

   幕府の瓦解によって武家から「士族」となった者たちの多くは、困窮を極める生活の中、なんとか娘を官営の富岡製糸場に遣って手に職をつけさせていた。その娘たちの「就職先」を確保するためでもあった。

   しかし明治の終わり、日清戦争の戦勝金を充てて官営の八幡製鉄所が造られることになり、当時の松波家の当主はこれからこの国の基幹産業が、軽工業から重工業へと変容していくであろうことを悟った。
   だが、だからといっておいそれと造船業や鉄鋼業をはじめられるほど、松波屋商店に資力があったわけではない。

   そこで、当時流行はやりはじめた衣料品を中心とする「なんでも屋」の「百貨店」を創業することにした。衣料品なら、今までの伝手つてを利用できるということもあった。
   そして、それまで松波屋商店の工場で働いていた女工はそのまま、百貨店「松波屋」で働くデパートガールになった。

   時は大正に改まっていた。世の中は大正デモクラシーの自由闊達な風潮の下、第一次大戦の「大戦景気」に沸き返り、松波屋は着々と業績を伸ばしていった。

   その後、昭和に入り太平洋戦争の際には人的・物的ともに甚大な被害を受けた。

   しかし、それから戦後の朝鮮特需からの高度経済成長やバブル景気という「追い風」を受けたり、石油ショックやバブルの崩壊という「向かい風」を受けたりしながらも、松波屋はこの新しい御世になるまで生き延びてきたのだ。

   その松波屋を代々取り仕切ってきた松波家当主は、今ではこの国屈指の老舗百貨店の創業者一族として、名だたる企業が集結する経済団体の重鎮というだけではなく、政治の世界にも顔を利かせる存在にまでなった。

   その松波家の嫡流の嗣子あととり——つまり、次代の松波家当主となって、これからの松波屋の采配を振るう運命に生まれついたのが——

   松波 恭介だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

カラダから、はじまる。

佐倉 蘭
現代文学
世の中には、どんなに願っても、どんなに努力しても、絶対に実らない恋がある…… そんなこと、能天気にしあわせに浸っている、あの二人には、一生、わからないだろう…… わたしがこの世で唯一愛した男は——妹の夫になる。 ※「あなたの運命の人に逢わせてあげます」「常務の愛娘の『田中さん』を探せ!」「もう一度、愛してくれないか」「政略結婚はせつない恋の予感⁉︎」「お見合いだけど、恋することからはじめよう」のネタバレを含みます。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

『マヨイの森、人生』の 相談エリアの真宵菊陽の一日

暗黒神ゼブラ
現代文学
これはとあるバーの人生相談エリアを担当している真宵菊陽の一日である。 表紙にAIイラストを使っています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

きみは運命の人

佐倉 蘭
恋愛
青山 智史は上司で従兄でもある魚住 和哉から奇妙なサイト【あなたの運命の人に逢わせてあげます】を紹介される。 和哉はこのサイトのお陰で、再会できた初恋の相手と結婚に漕ぎ着けたと言う。 あまりにも怪しすぎて、にわかには信じられない。 「和哉さん、幸せすぎて頭沸いてます?」 そう言う智史に、和哉が言った。 「うっせえよ。……智史、おまえもやってみな?」 ※「偽装結婚はおさない恋の復活⁉︎」のExtra Story【番外編】です。また、「あなたの運命の人に逢わせてあげます」「お見合いだけど、恋することからはじめよう」のネタバレも含みます。 ※「きみは運命の人」の後は特別編「しあわせな朝【Bonus Track】」へと続きます。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...