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Last Book

「これから」②

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『もう、それでなくても今日は午前中がまるまる潰れて、分刻みのスケジュールなのにっ。こっちは急に専務から「婚姻届を用意しろ」って言われて、土曜日で役所は閉まってるし、仕方なく妻にL◯NEで聞いたら、「結婚情報誌のゼ◯シィの付録についてる」って教えられて、あわてて本屋へ走りましたよ。なんか、ピンクの婚姻届で、いい歳してこっ恥ずかしいかもしれない用紙ですけど、記入漏れさえなければ、ちゃんと役所で受理してもらえますからね。……あ、戸籍地以外で届け出るときは戸籍謄本が必要ですからね』

 ——そうだったのか。
 わたしは身体からだ中から力が抜けきってしまうほど、ほっとした。

 シンちゃんは、だれの「夫」でもない。正真正銘の「独身」なのだ。

『そもそも、専務が「平日は櫻子さんのために、ほぼ定時で帰りたい」なんてワガママ言うから、土日に休日出勤してその穴埋めをする羽目になるんじゃないですかっ!』
「専務」に対する心の声が、ここぞとばかりに炸裂していた。
『もちろん、秘書の僕も休出ですっ!ほんとに、何回も言うようですけど、うちは子どもが生まれたばっかりなんですよっ⁉︎うちの妻がワンオペ育児で、育児ノイローゼにでもなったら、専務のせいですからねっ!……それからっ』
 まだ、あるようだ。

『いつになったら、うちのブリウス返してくれるんですかっ!?』
 ——えええぇっ!?

『「しばらくの間、おれの車と交換してくれ」っていつまでですかっ!? 専務のベ◯ツSLのコンバーチブルに、チャイルドシートなんかつけられませんよっ!妻は「傷でもつけたら大変だから」って言って、スーパーへ行くにも車を出せなくて、うちはえらく迷惑してるんですっ!!』

 青井さんはものすごーく怒っていた。
 なのに、ふとシンちゃんを見ると、両手で耳をすっぽりと塞ぎ、目もしっかり閉じていた。

「……青井さん、いろいろとご足労をおかけして申し訳ありません」
 わたしは万感の思いを込めて、タブレットに向かって深々とお辞儀をした。

『あっ、いやっ、そのっ、櫻子さんに文句を言ってるわけでは……』
 青井さんがとたんにしどろもどろになる。

 すると、いきなり、シンちゃんがタップして、青井さんがディスプレイからふつっと消えた。
 ——「皇帝」というより「ジャ◯アン」かも?


「……櫻子……信じてくれる?」
 シンちゃんは今までの「皇帝」ぶりとは打って変わった気弱な顔で、わたしを見つめた。

 わたしは、しっかりと肯いた。

 だけど——
「……そんな立派なおうちに、わたしなんか……ご迷惑になるんじゃ……」

 シンちゃんがソファの前にあるローテーブルに置かれた婚姻届をひっくり返した。
 半分に折られていたそれは、今まで【夫になる人】と【妻になる人】の面が表になっていたのだが、裏だった【証人】の面が目の前にあらわれた。【葛城 はじめ】と【葛城 謙二】の署名が見える。シンちゃんの父親と弟の名前だった。

「櫻子、それ以上まだ言うのなら、怒るよ。青井の話を聞いたでしょ?このとおり……うちの家はみんな、櫻子のことを歓迎しているんだ」
 シンちゃんは婚姻届の【証人】の欄を、指でトントンと叩いた。

「むしろ、『なぜ早くうちに連れてきて紹介してくれないんだ』ってうるさくて、鬱陶しいくらいなんだよ?……まぁ、僕がなかなか実家うちのことを言い出せなかったのが、すべての元凶なんだけど」
 そして、ふと思い出したかのように、シンちゃんが尋ねてきた。

「ところで……櫻子はどうやって、うちのことを知ったの?」
 わたしは、今日シンちゃんが出かけたあとに、また原さんがやってきたことを話した。

「……あの野郎……性懲りもなく……」
 シンちゃんは今までに見たこともないくらいの鬼の形相になった。
「それに、あることないこと、櫻子に吹き込みやがって……」
 言葉遣いも、いつもの穏やかでやわらかなシンちゃんにはありえないほど荒々しい。

「ねぇ、シンちゃん……原さんから見せられたスマホの『女の人』と『赤ちゃん』なんだけど……」
 わたしが「あおいさん」だと勘違いしていた女性とその赤ちゃんはもしかして——

「……青井さんの奥さんと子どもさんなの?」

「違うよ。青井の奥さんも子どもも、うちには来たことないよ。それに、きみが見たという赤ちゃんと僕とは……しっかりと、血がつながってるしね」

 ——えええぇっ!? ち、違うのっ!?

「その赤ちゃん……僕にすっごい似てる、って思わなかった?」

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