きみの左手薬指に 〜きみの夫になってあげます〜

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
10 / 63
Book 5

「営業マンの知」①

しおりを挟む
 
「……うっわー『イケメンさん』じゃんっ」
 真生まきちゃんが息だけでつぶやいた。

 ダークブラウンの髪で端正な顔立ちの彼のことを、真生ちゃんはいつも勝手にそう呼んでいた。

 カウンターの向こう側にいる、長身にネイビーブルーのスーツを纏ったその〈イケメンさん〉は、営業の合間に時間潰しで来ていると思われる「常連」のうちの一人だった。

 だけど、ほかのサラリーマンたちと違って、彼が机に突っ伏して寝ている姿は、一度たりとも見たことがない。
 いつもちゃんと書架にある本を読んでいる、まるで希少本のような人だった。
 ——いや「図書館」なら、あたりまえの行為なんだけれども。

 しかし、そんな彼でも、本の貸出までは利用したことはなかったはず。

「……図書館利用カードはお持ちですか?もしお持ちでなければ、こちらの用紙にご記入していただきましたら、すぐに発行しますが。あ、この分館はもうすぐ閉館となりますが、このカードは本館でもお使いいただけ……」

 しかし、わたしのマニュアルに沿った「説明」は、目の前の人の、はあぁ……っというため息によって遮られた。

「……ずいぶん、キレイにスルーされちゃったなぁ」
 〈イケメンさん〉は細長い人差し指で、形よくすーっと通った鼻の頭を掻いた。
「結構、勇気を振り絞って申し出たんだけどね」

「さ…櫻子さん、失礼ですよっ。利用者様のお話は、ちゃんとお聞きしなくちゃ」
 真生ちゃんが肘でわたしを突っつく。
 たぶん、その「利用者様」が〈イケメンさん〉だからだとは思うが。

「あ、あの……?」
 わたしがおずおずと尋ねると……

「やっと、僕の『プレゼン』を聞いてくれる気になった?」
 〈イケメンさん〉は苦笑していた。
「君たちの話が、静か~に本を読んでる僕の耳に、聞くともなしに入ってきたんだけど……」

 わたしは真生ちゃんの方を向いて、顔をしかめた。
 ——ほら、やっぱり、真生ちゃんの声が大きかったのよ。これこそ「司書が私語をしてうるさい」とクレームが来かねない。

「その状況だと、僕もやっぱり『櫻子さん』っていう女性が、ストーカー被害に遭ってるとしか思えないけどね。……しかも、その『原さん』って人に」

 ——話してたこと全部、筒抜けだったんじゃないっ!
 恥ずかしくて、わたしも向こうにいるサラリーマンのように、机に突っ伏したかった。(あのサラリーマンはただ寝てるだけだけど。)

「やっぱり、だれが聞いてもそう思いますよねっ?」
 真生ちゃんはカウンターから身を乗り出した。
「じゃあ、これから櫻子さんはどうしたらいいと思います?……先刻さっき、『いい考えがある』っておっしゃいましたよね?」

「櫻子さんに彼氏がいるように見せればいいんですよ。……あ、でも、それだと弱いな」
 〈イケメンさん〉は、自信たっぷりに微笑んだ。

 そして、正真正銘の切れ長の魅惑的な瞳で、わたしたちを、ぐっ、と見た。
 思わず、引き込まれてしまう——

「いっそのこと……『結婚している』って思わせて、櫻子さんのことを諦めさせたらどうですか?」

 ——そういうことができるようであれば、こんなに苦労はしていない、という顔を、わたしも真生ちゃんも同時にした。

 自信たっぷりに言うものだから、どんな妙案を授けてくれるのか、と期待したが……
 わたしも真生ちゃんも失望感が半端ない。
 反動で、ちょっと怨みがましい気持ちすら湧き上がってくる。

 〈イケメンさん〉が「ん?」という顔になる。
「……もしかして、櫻子さんにはそういう人がいない、もしくはそういうことを頼めるような人もいない、のかな?」
 ちょっと皮肉っぽい笑みを浮かべていた。

 初めて話をする人がそんな笑いをしたら、普通は嫌悪感しかないと思うが、さすがイケメン。
 さわやかな笑顔の中に忍び込む、ちょっぴりセクシーな危うさにしか見えないのが腹が立つ。
 でも……やっぱり「腹は立つ」んだけれども。

「そっ、そうなんですっ!櫻子さんはこんなに性格もよくてやさしいのに、浮いた話一つない残念な美人さんなんですっ!」
 真生ちゃんが力強く肯定した。
「ちょ…ちょっと、真生ちゃんっ!?」
 わたしはあわてて制する。

「じゃあ……乗りかかった船だね」
 〈イケメンさん〉が、すーっと目を細めた。
 セクシーな危うさが絶賛増量中だ。

「じゃあ、櫻子さん……僕と結婚してるってことにすれば?」

しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

聖なる乙女は竜騎士を選んだ

鈴元 香奈
恋愛
ルシアは八歳の時に聖なる力があるとわかり、辺境の村から王都の神殿に聖乙女として連れて来られた。 それから十六年、ひたすらこの国のために祈り続ける日々を送っていたが、ようやく力も衰えてきてお役御免となった。 長年聖乙女として務めたルシアに、多額の金品とともに、結婚相手を褒賞として与えられることになった。 望む相手を問われたルシアは、何ものにも囚われることなく自由に大空を舞う竜騎士を望んだ。 しかし、この国には十二人の竜騎士しかおらず、その中でも独身は史上最年少で竜騎士となった弱冠二十歳のカイオだけだった。 歴代最長の期間聖乙女を務めた二十四歳の女性と、彼女より四歳年下の誇り高い竜騎士の物語。 三島 至様主催の『聖夜の騎士企画』に参加させていただきます。 本編完結済みです。 小説家になろうさんにも投稿しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

【完結】竜王の息子のお世話係なのですが、気付いたら正妻候補になっていました

七鳳
恋愛
竜王が治める王国で、落ちこぼれのエルフである主人公は、次代の竜王となる王子の乳母として仕えることになる。わがままで甘えん坊な彼に振り回されながらも、成長を見守る日々。しかし、王族の結婚制度が明かされるにつれ、彼女の立場は次第に変化していく。  「お前は俺のものだろ?」  次第に強まる独占欲、そして彼の真意に気づいたとき、主人公の運命は大きく動き出す。異種族の壁を超えたロマンスが紡ぐ、ほのぼのファンタジー! ※恋愛系、女主人公で書くのが初めてです。変な表現などがあったらコメント、感想で教えてください。 ※全60話程度で完結の予定です。 ※いいね&お気に入り登録励みになります!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...