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あなたの運命の人に逢わせてあげます
Chapter 6 ②
しおりを挟む実は、美咲の姿を見るまで、彼女のことはすっかり忘れていた。もちろん、顔だって覚えちゃいない。
小学校を卒業してから二十年近く経っていることもある。しかし一番の理由は、おれは中学に入学してから、意識して小学校の頃を忘れるようにしたからだ。
それは、あの頃がおれにとって何の気苦労もない、楽しい時期だったからだ。思い出すと辛くなるほど、一番しあわせな時期だったからだ。
「岡嶋こそ、よくおれの顔がわかったな」
今度はおれが苦笑した。男は成長するにつれ、姿も声もガラリと変わるのに。
「自分でもびっくりしてる。でも、顔を見たとたん、なぜかわかったんだ」
美咲は少し得意げに微笑んだ。
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
小さなアパートでの母子二人の生活を維持するために、母親はパートに出るようになった。
やがて、母親に恋人ができた。勤め先で知り合った、八歳も年下の男だった。
最初は微妙な年頃のおれの顔色を窺っていた男だったが、そのうちだんだん慣れてきて家に入り浸るようになった。
「まだ結婚経験のない二十代半ばの息子が、年上の子持ちの女に誑かされた」と思い込んだ男の親が、母親を訪ねて怒鳴り込んできた。
母親は男の親に「別れる」ことを約束させられたが、それを聞いて逆上した男は、親と縁を切って家に居座るようになった。
まもなく、母親はその男の子どもを身ごもった。母はまだ三十代半ばの「女」だったのだ、ということをおれは思い知らされた。
そして母は男と再婚し、男はおれの「父」になった。
小さなアパートからファミリータイプのマンションに引っ越した。自分の部屋が与えられた。だが、そこにいても自分の家とは到底思えなかった。
本当の父親の家に戻ろうかと思ったが、そこにもおれの居場所はなかった。祖母の手配で、その父もまた、すでに再婚していたからだ。
翌年、おれに十四歳も年の離れた妹ができた。
新しい「父」がおれに辛くあたったわけじゃない。むしろ、なにかと気を遣ってくれていた方だと思う。いつまでも心を閉ざしていたのはおれだ。
実の父は母との離婚の際に、親権を渡す代わりにおれに父の姓を名乗らせることを要求した。つまり、母は父と離婚しても旧姓に戻れなかったのだ。
再婚するにあたって母は、新しい「父」と養子縁組することを望んだが、おれは頑なに拒否した。だから、新しい家族の中でおれだけが「魚住」だった。
高校を卒業したおれは、家を離れて念願の一人暮らしを始めた。おれが出て行くとき、懐いていた幼い妹は泣き喚いたが、同じ姓の家族三人水入らずで暮らすのが、この妹のためにもいいだろうと思った。
それ以来、家には帰っていない。年に数回、母と妹がおれの様子を見にやってくるくらいだ。
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
美咲の顔を一目見たとたん、しあわせだった頃も、その後の気詰まりだった頃も、記憶が一気に甦った。
学生時代はサッカーに、就職してからは仕事に身を投じて忘れようとした、おれの「努力」はいったい何だったんだ、と気が抜けそうになった。
そこへ、おれの「タンドリーチキン&キーマカレーのセット」の銀色のトレイがやってきた。カレーだけじゃなく、タンドリーチキンが二ピースついていたので、結構なボリュームだ。
「岡嶋、一本やるよ」
おれはタンドリーチキンを美咲の銀色のトレイの上へ乗せた。
「ありがと。実は、食べてみたかったの。でも、二本なんてとても食べられないと思って」
美咲はうれしそうに微笑んだ。そして、フォークとナイフを器用に動かして、タンドリーチキンの骨から肉だけを削ぐように切り取った。
「あ、スパイスがすっごく効いてて、やっぱり美味しい。ね、魚住くん、海老もつけて食べてみて」
美咲は自分のトレイの上の銀色のカップをテーブルの真ん中に置いた。
おれはちぎったナンをそこへつけて食べてみると、キーマよりもまったりしていて、甘みがあった。
「お、美味いじゃん。キーマも食えよ」
とおれが勧めると、美咲はおれのトレイの上に手を伸ばし、ちぎったナンを銀色のカップにつけた。
それを口に入れ、満足げに味わう美咲は、
「……イタリアンにしなくてよかった」
と、つぶやいた。
「ほんとはね、駅の向こう側のイタリアンのカフェでランチしようと思ってたんだ。だけど、新しくできたタワービルにこのお店が入ったって急に思い出したから、気が変わってこっちに来たんだよ」
美咲の言葉に、おれの身体に電流が走った。
すっかり忘れていたが、おれは「運命の人に会うために」ここへ導かれたのだった。
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