契約結婚はつたない恋の約束⁉︎

佐倉 蘭

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Epilogue

爾後 ②

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「おれには虫歯がないから、虫歯菌が移ることはない。それになな・・には、いつもおまえにするようながっつりしたキスをするわけやないから、大丈夫や。安心しろ」

   稍の夫で、ななの父親である青山 智史さとふみが、顔色一つ変えずに平然とそう言い切って、両手を差し出す。

「せやから、よ……ななを返せ」

   生まれてこの方、稍はいつも「こずえ」と読まれ、智史はいつも「ともし」とか「さとし」とか「ともふみ」とか読まれてきた。
   せめて自分たちの子どもの名前は、だれからも間違えられずすんなり呼んでもらいたかった。
   だから、生まれてきた娘には「青山 なな」という名前を与えた。

「い…イヤやっ!今はあらへんかもしれへんけど、小学校のときは虫歯あったやんっ!一緒に近所の歯医者さんへ通ってたやんっ!虫歯菌の保菌者やった智くんが、ななの口にチュウしようとする限り、母親として絶対に渡せへんからっ!」

   悲壮感すら漂わせながら稍は我が子ななをぎゅっと抱きしめ、父親智史から遠ざけた。


——そんなことよりも、妹夫婦の前にもかかわらず『いつもおまえにするようながっつりしたキス』とかいうくだりを、とりあえずでも否定しなくていいのかよ?

   栞に紹介されて以来、彼らの「仲の良さ」にはもうすっかり慣れたとはいえ、神宮寺はモバイルPCのキーを打ちながら思わずにいられなかった。

   ふと視線を感じた神宮寺は、顔を上げた。

   すると、母親に抱かれたなな・・がこちらに顔を向けていた。

   口の周りに虫歯菌どころかあらゆる雑菌を死滅させそうなほど盛大にヨダレをしたたらせて、意味不明な「だぁ…あぁ…ぅう…」という喃語なんごを発しながら手足をバタつかせ、神宮寺のモバイルPCをじーっと見つめている。

   その顔立ちは——まさに「栞」だった。

   だがそれは、自然の摂理であった。

   栞と稍は同じ母を持つ姉妹で、栞と智史は同じ父を持つ兄妹だから、稍と智史の子であれば、両方の面影を併せ持つ栞にそっくりなのは、当然のことである。


「おねえちゃーん、お鍋、もうそろそろええ感じやねんけどー。呑水とんすいは並べといたえ」

   ダイニングから栞の声が聞こえてきた。

「あ、栞ちゃん、ごめんやけど、お薬味用のお手塩てしょうも置いてくれる?」
   稍はななを左腕一本で抱え直し、パタパタとあわてて向かった。

   栞は小皿にもみじおろしと青ネギを盛って、ダイニングテーブルに置いた。

「えらいごっついフグやなぁ。お兄さん、大分だいぶと奮発しはったんとちゃうん?」

   栞が目を丸くする。今夜はてっちりなのだ。
   すると、野菜を盛った大皿に興味を持ったなな・・が、思いっきり手を伸ばす。

「あぁ、それなぁ……社長からやねん」

   ぷにゅっとしたなな・・の指が、もうちょっとで野菜に触れる、というところで、稍が体勢を変えた。ななから大皿が、ぐんと遠ざかった。

「それって、おねえちゃんたちが勤めたはる会社の社長さん?」

   稍も智史も(株)ステーショナリーネットに在籍している。今や文具ステーショナリーだけでなく生活用品全般に及ぶネット通販で、日本有数のシェアを誇る企業だ。

   そもそも、新卒で入社した証券会社を辞めた稍が、その後派遣社員として訪れたこの会社で智史と「再会」したのが、二人が結婚するに至ったきっかけだった。

「……社内システムの構築が認められて『社長賞』をもらった。営業関連以外の部署では初らしい。税法上、物品でないとまずいらしいから『最高級天然とらふぐ』を希望した」

   ダイニングに移動してきた智史が答えた。
   日頃、ななの子育てにがんばる稍を喜ばせるためであるのはもちろんだが、栞を「てっちり」で我が家におびき寄せるためでもあった。

「うっわーっ、すっげぇ肉厚のフグ!」

   神宮寺もモバイルPCをシャットアウトしてやってきた。

「たっくん、せやろー?」
   栞が神宮寺に向かって満面の笑顔になる。

   智史は眼鏡のレンズ越しに、神宮寺をぎろりと睨んだ。

——なんでこいつにまで、おれのとらふぐを食わせやなあかんねん?

   二〇数年ぶりに栞と再会したあの日、「この世でたった一人の妹」がすでに人妻になっていたときの衝撃が今でも忘れられない。
   そのときも、不安げな顔の栞を支えるようにして神宮寺ヤツがいた。

   稍も、実家麻生の父も(そして、家を出た父母も)みな「有名作家」と結婚した栞を全面的に祝福したが、智史だけは違った。


——早い、栞。早すぎる。しかも、作家なんていう不安定な職業のヤツなんかと。本当ほんまにこいつ、栞のことを一生食わしていけるねんやろな⁉︎

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