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Chapter 4
幽境 ②
しおりを挟む「たっくん、聞いて……」
栞はおずおずと神宮寺を見上げた。実は彼がこの目に弱いなどとは、栞はつゆほども気づいてはいない。
「あたしは……母親が不倫してた既婚者の男との子やって言うたやろ?『智史』っていうのは、その既婚者の男と奥さんとの間に生まれた息子のことやねん。せやから、あたしにとっては『母親違いの兄』にあたる人や。近所に住んでたときは、ほぼ毎日会うてたらしいけど、あたしは赤ちゃんのときやったからまったく覚えてないし……どういう経緯かは聞けずじまいやったけど、あたしがおねえちゃんに通話したときに、なぜか一緒にいたはってん」
「ふうん……じゃあ、栞の『姉』は『父親違いの姉』っつうことになるのか……」
「姉」の稍とは母親が同じで、「兄」の智史とは父親が同じだということだ。
なので、稍と智史には血のつながりはなく、赤の他人だ。
なんとも複雑な人間関係だが、さすが人物を設定して小説を書くのが生業の神宮寺である。すんなりと理解できたようだ。
「……わかってくれた?」
栞は神宮寺を見上げつつ、小首を傾げた。それがいかに彼から理性を奪ってしまうかということを、彼女はやはりつゆほども気づいていなかった。
「あぁ、疑って悪かった」
殊勝にも神宮寺が謝った。この姿を担当編集者の佐久間 しのぶや池原 隆士が見れば、ひっくり返って二度と起き上がれなくなるかもしれない。
「だから……きちっと『謝罪』させてもらう」
そして、次の瞬間——
キングサイズのベッドに座っていたはずの栞は、神宮寺に押し倒されていた。
「ちょ、ちょっと……たっくん……?」
あっという間に視界が天井にひっくり返った栞は、のしかかってくる神宮寺の胸へ向けて、拳でとんとんっ、と「抗議」した。
ところが、神宮寺は一向に意に返さず、
「これから、心を込めて『謝罪』するからな」
と甘く告げて、熱のこもった目で栞を見つめる。
その目に「身の危険」を察知した栞は、
「『先生』、お腹すいたから階下に降りてきはったんやなかったんですかっ?それに、お仕事はもうええんですかっ?しのぶさんの文藝夏冬だけやなくて、池原さんの古湖社の分もあるんですよっ⁉︎」
神宮寺の気を逸らすために尋ねてみた。
そのとたん、彼は険のある顔になった。金輪際、栞からは「先生」とは呼ばれたくないからだ。
「減った腹は——栞で満たしてやる」
神宮寺は食欲を性欲で乗り越える、という斬新な「飢餓対策」を宣言したかと思えば……
「考えてみれば、世間はGWの大型連休中なんだよな?先刻、栞は通話で自分の姉さんに『先生が……その……急な仕事で……離してくれへんくって』とか言ってたけどさ。いくら身内の人といえども、栞のことをGWなのに夫に仕事をさせるような『鬼嫁』なんて思われたくないなー。むしろ、栞の夫であるおれの方が大型連休に『家族サービス』をしなければならない義務があるしな?」
ほとんど棒読みの声でしらじらしくそう続けて……
「せやったら、おねえちゃんのとこへ行かしてくれはったらよかったのに。それにまだ、婚姻届はお役所に受理されてへんし……」
そう抵抗する栞の、ぷるっとしたくちびるを自らのくちびるでしっかりと封じた。
それでなくとも、京都市内から遠ぉーく離れた(ほとんど奈良の)山奥の「ぽつんと一軒家」にいるのだ。彼らを訪れる者はだれもいない。
そのあと栞は、昼夜を問わずカラダの芯までぐずぐずに蕩けさせられる「神宮寺の謝罪」をさんざん受ける羽目となった。
どんどん、神宮寺なしでは生きていけないカラダに造り直されているみたいだ。
「……そう言えば、神崎が『ほしいものはL◯NEで言ってくれれば、買って持ってくる』って言ってたな。このペースだと、避妊具のストックが心許ないなー。十箱くらい頼んで持ってきてもらおうか?」
その日何度目かもわからないほど極まった栞の耳元で、神宮寺が色気をダダ漏れさせた甘い声で囁く。
「二十二歳の健全な男子」を侮ってはならない。
——ぜっ、絶対にやめてええぇーーーっ⁉︎
そんなふうにして、栞のGWは過ぎて行った。
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