10 / 12
⑨
しおりを挟むチチはティーラのほうに向き直った。そして、玻瑠の目で彼を見た。
ティーラはチチを怒らせてしまったかと思ったが、彼女の瞳にはその影はなかった。
ただ、髪と同じく透き通った色の長い睫毛をしばたたかせているだけで、その様子はとまどっているようにしか見えなかった。
——だったら、おれの下帯など投げなければいいのにさ。
少し心に余裕を感じた彼は、今度は目を逸らさずに彼女をじっと見つめた。
チチの瞳は向こうを見通せるかと思えるほど澄んでいた。まるでその中に吸い込まれそうだ。
そこには、その奥にあるものを見てみたい、と思わせるなにかがあった。
ティーラは手を伸ばした。チチの真っ白な頬に、彼の陽に焼けた指先が触れた。
その瞬間、彼女は弾かれたようにびくっとし、その拍子に唇が少し開いた。
その唇は、青白いまでの肌の色とは真反対なまでに赤かった。そして、湿りを帯びて輝き、生き生きと精気に満ちあふれていた。
ティーラは今までに経験したことのない衝動が込み上げてくるのを感じた。
——その唇に触れたい。この指で……いや、この唇で。
自分自身の唇で、彼女の唇に触れてみたくなったのだ。
その衝動は到底抗うことができないものだった。
ティーラはチチの顔に自分の顔を寄せ、彼女の唇へ自分の唇をのせた。
潮風に曝されてざらついた彼の唇とは違い、彼女の唇はふんわりとやわらかかった。
唇を離したティーラは、躊躇いがちにチチを見た。今度こそ彼女が怒っていると思ったからだ。
だが、彼女の表情に怒りは見られなかった。それどころか、先刻までのどうしていいのかわからない様子がすっかり消えていた。
「……おまえは、海の向こうから、やってきたのか」
チチは口を開いて、ティーラに尋ねた。その言葉には、彼が住む島のような訛りはまるでなかった。
「そうさ」
ティーラは肯いた。
「母が、云った」
チチは言葉を続けた。
「いつか、海の向こうから、やってくる。わたしたちを……ほしがる者が」
彼女はゆっくりと一言一言を確かめるような物云いだった。
「母は、その者はまず、口を吸う、と云った」
ティーラは、自分よりずっと幼さなくてあどけなさそうな少女から「口を吸う」という言葉が出たので、少し驚いた。
「おまえが、そうなのか。おまえは、わたしを……ほしいのか」
チチは彼を見据えて訊いた。
ティーラはたじろいた。彼女のまっすぐな玻瑠の瞳に——本当に、吸い込まれそうだったからだ。
「……父も、海の向こうから、やってきた」
チチは少し話題を変えた。
「お父とお母と一緒にこの島に住んでいるのか」
ティーラは尋ねた。そういえば、この少女については知らないことだらけだった。
チチは首を振った。
「父も、母も、いない。満月の夜に、舟で、海の向こうへ、行った」
彼の島には満月の出る日に舟を出してはいけない、という昔からの云い伝えがあった。その日は海の魔物が出て舟を引っくり返す、と信じられていた。
だから、どんなに晴れていようとも漁は休みだ。
「満月の日に舟を出すとは……自分で自分の命を絶つようなもんさ」
彼は呻いた。
「でも、お婆がいる。この島で、暮らしている。二人きりで」
彼女はぼそっと呟いた。
ティーラは自分の心の中に、チチに対する憐憫の情がじわじわと湧き上がってくるのを感じた。
彼女がその小さな身体で、あたりまえのように孤独を背負っているのが痛々しかった。
思わず、彼女の子どものようにか細い肩を手元へ引き寄せた。均衡を失った彼女の身はあっという間に、足元の草むらの中に沈んでいった。
「……お父もお母もいないのは、おれも同じさ」
自分もまた草むらの中に沈みながら、彼女の玻瑠の瞳に向かって、ティーラは囁いた。
そして、彼女の唇に自分の唇を強く押しつけた。
唇から離れた彼を、チチは見据えた。先刻した問いをもう一度口にした。
「おまえが、そうなのか。おまえは、わたしを……ほしいのか」
ティーラも彼女を見据えた。そして、ゆっくりと肯いた。
「……ほしい」
彼女のまっすぐな玻瑠の瞳に、吸い込まれていく自分を感じた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。

『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる