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大詰
幕引〈壱〉
しおりを挟む「ま、まさか……」
美鶴のつぶやきに、驚いた広次郎があわてて刀を鞘に戻した。
「松波様、御無礼仕ってござる」
直ちに地面に跪くと、兵馬に向かって深々と頭を下げる。
「某、北町奉行所 隠密廻り同心・島村 勘解由が嗣子、同じく北町奉行所の見習い同心・島村 広次郎にてござる」
いくら広次郎の生まれが兵馬の御家の「町方与力」より格上とされる「内与力」の御家であろうとも、養子縁組されて島村の人間となった今は一介の同心に過ぎぬ。
その証に、広次郎が名乗りをあげても兵馬は名乗らない。「上」である与力が、身分の劣る同心にわざわざ名乗ることなぞ、万に一つもあり得ないからだ。
「天地神明に誓って、我らが世間に顔向けできぬことなどつゆもありはせぬが、もしも此度の責めがあるならば、すべては某の所為にてござる。奥方様には如何なる科もござらぬゆえ、どうか良しなに願い奉ってござる」
広次郎はいっさい面を上げることなく頭を下げたまま、さらに続ける。
「さすれども、松波様が『妻敵討なり』と云われるのであらば……」
武家の妻が姦通して夫に露見すると、夫は御公儀(江戸幕府)に届け出をすれば、妻とその相手の男を叩っ斬っても罪には問われなくなる。
むしろ、叩っ斬らないと「恥」になるくらいだ。
ゆえに、時には逃亡した妻と男を追って、諸国を放浪することもある。
此れを「妻敵討」と云う。
「どうぞ ——某の首をお召しくだされ」
広次郎は腰から大小の刀を鞘ごと引き抜くと、兵馬の方へ二本並べて差し出した。
「……お待ちくだされっ、旦那さまっ」
すっかり丸腰になった広次郎の前に、美鶴は思わず飛び出した。枇杷茶色の小袖の着物が汚れるのも構うことなく、すぐさま両膝をついて正座する。
そして、深々と兵馬に向かって平伏した。
「ひ、広……いえ、島村殿にこそ科はござりませぬ」
広次郎と同じく、兵馬の顔をいっさい見ることなく地面にひれ伏したまま、美鶴は告げた。
「本日は、松波の御姑上様よりわたくしに託されたものを、島村殿がお届けござっただけのことにてござりまする」
美鶴はさらに頭を下げた。額が地面に触れ、土に塗れたかもしれぬ。
だが、万が一でも此れで夫の溜飲が下がって広次郎の命が助かるのであらば、いくらでも土に塗れよう。
「それに島村殿は先般、わたくしがしばし世話になった島村家の嫡男になったばかりにてござりまする」
広次郎は、子のおらぬ島村 勘解由がようやく迎えた「嗣子」なのだ。
「もしも、妻敵討にてだれかを打ち首にせねば、旦那さまの面目が立たぬと云うのであらば……」
——どうせ、わたくしは……
「……代わりに、わたくしの首を討ち取ってくださりませ」
旦那さまにとっては「要らぬ妻」なのだから——
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