大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
118 / 129
大詰

口上〈拾陸〉

しおりを挟む

   すると、志鶴が手を伸ばして、綿紬の浴衣をぺらりとまくった。その下から、女物の着物が現れる。

「あぁ、これは、嫁御の御実家から預かってござったのに、まだ渡してござらぬ着物じゃ」

   同じく実家から差し出された持参金の金子きんすの方は、離れて暮らすとならば先立つ物がるであろうと、実家筋の同心に持たせて渡しておいた。

   松波の家から用立てても一向に構わなかったが、それでは遠慮して受け取らぬ恐れがあると思い、そのようにした。
   されども、娘時分に着ていたと思われる着物の方はついうっかりして持たせそびれた。

「わざわざ嫁ぎ先に預けるくらいじゃ。さぞかし思い入れのある着物であろう」
   志鶴はさように云って、黒繻子の掛け襟が付いた黄八丈の着物をそっと撫でた。

   その着物は——「舞ひつる」が久喜萬字屋で着ていたものであった。


   御公儀が阿蘭陀オランダ清国以外の国との交易つきあいを御禁制にするこの御時世、物資の乏しい我がもとでは大名や豪商ならいざ知らず、庶民には着物の持ち合わせなぞとんとない。着た切り雀である。

   舞ひつるもまた、いつも同じ着物を普段着としていた。久喜萬字屋から「押し着せ」として与えられた黄八丈だ。

   しかしながら、八丈島で織られた八丈絹「黄八丈」は普段着にするにしては高直こうじきであった。ゆえに、ちまたでは他処で織られた安価な偽物が出回っているくらいだ。

   久喜萬字屋が「虎の子」の振袖新造ふりしん・舞ひつるに与えたのは、黄色地に黒い縞格子が入った正真正銘の「本場黄八丈」であった。


「……さようであったか」

   兵馬の心に、黄八丈の着物に真っ白な前掛けをした舞ひつるの姿が、ありありと甦ってきた。

——どうやら、とんだ思い違いをしておったな……

「弥吉っ、影丸の支度をしろっ」
   兵馬は背後にいる弥吉に命じた。

   弥吉は一つ肯くと、厩からくらを持ってきて影丸の背に、ばさりと被せた。そして、面繋おもがいを掛けたあと、その口にくつわを噛ませて手綱をとる。

「母上、御無礼つかまつった。これより、それがしが我が妻を迎えに参るゆえ、どうかおゆるしくだされ」

   兵馬は母に向かって頭を下げた。

「おせい、その風呂敷包みをよこせ。それがしが渡そうぞ」

   おせいの顔が、ぱっと輝く。腕に抱えた風呂敷包みを、すぐさま兵馬へと手渡す。
   風呂敷包みを受け取った兵馬は、たすき掛けにして我が身にくくり付けた。

「兵馬、わたくしに謝ることなぞござらぬ。そなたが謝るべきはそなたの嫁御——美鶴殿にてござりまする」

——あぁ、そうか……その名が……あの夜、聞きそびれた……「真名まな」であったか。

   弥吉が影丸の手綱を引いてやってきた。
「若、どうぞ乗っておくんなせぇ」

「おう、ありがとよ」

   兵馬は礼を云うと、あぶみに片足をかけ、ひらり、とその背に跨った。

「御新造さんと……よっく話をしておくんなせぇよ」

   馬上の人となった兵馬を見上げて、弥吉は祈るような目で云った。

「お互い、あとで悔いが残んねえように……」

   すかさず兵馬は、おせいに目を遣った。すると、おせいは気まずげに目を逸らせた。
   志鶴はその姿を見て、お互いいつまで意地を張っておるのか、とじれったそうに顔をしかめている。

「……相判あいわかった」

——おまえたちの二の舞にはなるまいぞ。

   弥吉がとっていた手綱から手を離して兵馬に託すと、すーっと後ろへ下がっていく。

「影丸……いざ、参るぞ」
   兵馬は一声かけると、ぐっと手前に手綱を引いた。

   影丸は雄叫びのようにいななくと、その鶴首をしならせた。それから、左右の前脚を澄み渡った青空に向けて上げ、主人あるじに応える。
   その両脚が地面に下りたと同時に、兵馬は鐙で影丸の横腹をカッと蹴った。

   影丸はしなやかな尾を大きく一振りすると、長屋門の向こうに広がる外の世界へ向かって、軽やかに駆け出した。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

WEAK SELF.

若松だんご
歴史・時代
かつて、一人の年若い皇子がいた。 時の帝の第三子。 容姿に優れ、文武に秀でた才ある人物。 自由闊達で、何事にも縛られない性格。 誰からも慕われ、将来を嘱望されていた。 皇子の母方の祖父は天智天皇。皇子の父は天武天皇。 皇子の名を、「大津」という。 かつて祖父が造った都、淡海大津宮。祖父は孫皇子の資質に期待し、宮号を名として授けた。 壬申の乱後、帝位に就いた父親からは、その能力故に政の扶けとなることを命じられた。 父の皇后で、実の叔母からは、その人望を異母兄の皇位継承を阻む障害として疎んじられた。 皇子は願う。自分と周りの者の平穏を。 争いたくない。普通に暮らしたいだけなんだ。幸せになりたいだけなんだ。 幼い頃に母を亡くし、父と疎遠なまま育った皇子。長じてからは、姉とも引き離され、冷たい父の元で暮らした。 愛してほしかった。愛されたかった。愛したかった。 愛を求めて、周囲から期待される「皇子」を演じた青年。 だが、彼に流れる血は、彼を望まぬ未来へと押しやっていく。 ーー父についていくとはどういうことか、覚えておけ。 壬申の乱で散った叔父、大友皇子の残した言葉。その言葉が二十歳になった大津に重く、深く突き刺さる。 遠い昔、強く弱く生きた一人の青年の物語。 ――――――― weak self=弱い自分。

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...