114 / 129
大詰
口上〈拾弐〉
しおりを挟む水茶屋の表に出ると、商家の若い男たちがわらわらと駆け寄ってきた。淡路屋の手代たちである。
そのうちの一人がすっと寄ってきて、おゆふに手を差し出す。
「……それでは、松波様。わっちらになにか判りなんしたら、伊作の親分さんに言付けしなんしゆえ」
おゆふはさように約束すると、手代の差し出した手を取った。
手代が兵馬に向かって、深々と頭を下げる。
兵馬よりも少し歳若いその男は、ほかの者と同じ揃いのお仕着せを纏っていたが……
おゆふが心配でついてきた「若旦那」に相違ないと、兵馬は思った。
「あぁ、頼んだぜ」
兵馬はにやり、と笑って淡路屋の「若夫婦」を見送った。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
「……松波様」
ある夜、家人が寝静まった佐久間の御家に、人目を忍んで下っ引きの与太がやってきた。
家業の鳶だけでなく岡っ引きもしていた今は亡き祖父・辰吉が、与太にとっての憧れだ。
なので、鳶の修行に励みつつも合間に祖父の「手下」であった伊作を見習いがてら手伝っていた。
だが、与太の父親は岡っ引きを厭がって、家業に専念していた。
それには訳がある。
町家の衆である岡っ引きや下っ引きは、武家の者たちから成る奉行所に雇われているわけではない。しかも、なにか厄介ごとが起きた際に呼び出されるだけで、しょっちゅう御用があるわけではない。
ゆえに、給金は仕えている武家の者——たいていは貧乏所帯の同心——からの心付け程度で、雀の涙であった。とてもとても、それだけでは暮らしを立ててはいけない。
それに、なにも岡っ引きなどせずとも、建物の足場を組む家業の鳶は、雨の日は休みになるなど年がら年中あくせく働かなくていいのに身入りが良かった。
にもかかわらず、与太は下っ引きになった。そして、いずれは祖父のごとき岡っ引きになりたいと思っている。
実は、岡っ引きにとって鳶は格好の仕事だった。
高所に渡された板をひょいひょいと渡らねばならぬため、身軽でないと務まらない。町では火消しの役目も担わされているから、夜の火事の折には夜目が利かないと命取りになる。
此度の御用のような、真っ暗闇の中で人知れず武家の組屋敷に忍び込む術を身につけるには打ってつけなのだ。
翻って「親分」の伊作の方はと云うと、女房が小間物屋をして暮らしを立てている「髪結いの亭主」であった。
当然のことながら、もともと身軽でもなければ夜目が利くわけでもなかった。
「わっ……おまえ、何奴だっ」
縁側の庭先に急に現れた与太を見て、佐久間 内匠は仰け反りつつも、傍らに置いた刀を左手で引っ掴んだ。
先般、前髪を落として元服したばかりの佐久間家の嫡男・内匠は、いよいよ見習い与力として北町奉行所に出仕することとなり、今宵も御役目を終えて戻ってきた従兄の兵馬に、心得などを教わっていた処であった。
先日より、なぜか嫁ぐ前の叔母が使っていた座敷の間に密かに寄留するようになった兵馬であるが、内匠にとってはまさに「渡りに船」だった。
気立ての良い母親の血筋か、それとも一人息子で大事に育てられた所為なのか、素直で従順な気質の内匠は兵馬のことを実の妹よりもずっと「兄」と慕っていた。
兵馬の妹・和佐はと云うと、見かけは嫋やかで母親と瓜二つであるが、中身は父親そっくりであった。
南町奉行所の見習い与力で再従兄でもある本田 主税に嫁入ったのだが、兵馬は我が妹ながらあのような気の強いおなごを娶ってしまった朋輩が気の毒に思えてならない。
ちなみに、本田 主税の母親と佐久間 内匠の母親は姉妹である。そのため、従兄弟同士の間柄だ。
かくのごとく、奉行所内では「手近」な処で縁組されているものだ。
返す返すも——兵馬の縁組だけが、ほかと異なっていた。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる