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大詰
口上〈拾弐〉
しおりを挟む水茶屋の表に出ると、商家の若い男たちがわらわらと駆け寄ってきた。淡路屋の手代たちである。
そのうちの一人がすっと寄ってきて、おゆふに手を差し出す。
「……それでは、松波様。わっちらになにか判りなんしたら、伊作の親分さんに言付けしなんしゆえ」
おゆふはさように約束すると、手代の差し出した手を取った。
手代が兵馬に向かって、深々と頭を下げる。
兵馬よりも少し歳若いその男は、ほかの者と同じ揃いのお仕着せを纏っていたが……
おゆふが心配でついてきた「若旦那」に相違ないと、兵馬は思った。
「あぁ、頼んだぜ」
兵馬はにやり、と笑って淡路屋の「若夫婦」を見送った。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
「……松波様」
ある夜、家人が寝静まった佐久間の御家に、人目を忍んで下っ引きの与太がやってきた。
家業の鳶だけでなく岡っ引きもしていた今は亡き祖父・辰吉が、与太にとっての憧れだ。
なので、鳶の修行に励みつつも合間に祖父の「手下」であった伊作を見習いがてら手伝っていた。
だが、与太の父親は岡っ引きを厭がって、家業に専念していた。
それには訳がある。
町家の衆である岡っ引きや下っ引きは、武家の者たちから成る奉行所に雇われているわけではない。しかも、なにか厄介ごとが起きた際に呼び出されるだけで、しょっちゅう御用があるわけではない。
ゆえに、給金は仕えている武家の者——たいていは貧乏所帯の同心——からの心付け程度で、雀の涙であった。とてもとても、それだけでは暮らしを立ててはいけない。
それに、なにも岡っ引きなどせずとも、建物の足場を組む家業の鳶は、雨の日は休みになるなど年がら年中あくせく働かなくていいのに身入りが良かった。
にもかかわらず、与太は下っ引きになった。そして、いずれは祖父のごとき岡っ引きになりたいと思っている。
実は、岡っ引きにとって鳶は格好の仕事だった。
高所に渡された板をひょいひょいと渡らねばならぬため、身軽でないと務まらない。町では火消しの役目も担わされているから、夜の火事の折には夜目が利かないと命取りになる。
此度の御用のような、真っ暗闇の中で人知れず武家の組屋敷に忍び込む術を身につけるには打ってつけなのだ。
翻って「親分」の伊作の方はと云うと、女房が小間物屋をして暮らしを立てている「髪結いの亭主」であった。
当然のことながら、もともと身軽でもなければ夜目が利くわけでもなかった。
「わっ……おまえ、何奴だっ」
縁側の庭先に急に現れた与太を見て、佐久間 内匠は仰け反りつつも、傍らに置いた刀を左手で引っ掴んだ。
先般、前髪を落として元服したばかりの佐久間家の嫡男・内匠は、いよいよ見習い与力として北町奉行所に出仕することとなり、今宵も御役目を終えて戻ってきた従兄の兵馬に、心得などを教わっていた処であった。
先日より、なぜか嫁ぐ前の叔母が使っていた座敷の間に密かに寄留するようになった兵馬であるが、内匠にとってはまさに「渡りに船」だった。
気立ての良い母親の血筋か、それとも一人息子で大事に育てられた所為なのか、素直で従順な気質の内匠は兵馬のことを実の妹よりもずっと「兄」と慕っていた。
兵馬の妹・和佐はと云うと、見かけは嫋やかで母親と瓜二つであるが、中身は父親そっくりであった。
南町奉行所の見習い与力で再従兄でもある本田 主税に嫁入ったのだが、兵馬は我が妹ながらあのような気の強いおなごを娶ってしまった朋輩が気の毒に思えてならない。
ちなみに、本田 主税の母親と佐久間 内匠の母親は姉妹である。そのため、従兄弟同士の間柄だ。
かくのごとく、奉行所内では「手近」な処で縁組されているものだ。
返す返すも——兵馬の縁組だけが、ほかと異なっていた。
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