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大詰
口上〈拾〉
しおりを挟む「其れは……久喜萬字屋の振袖新造の『舞ひつる』でなんしかえ」
おゆふは、きょとんとした顔で訊き返した。
兵馬は一つ、肯いた。
「さすれば……相も変わらず吉原の見世に居りなんしではないのかえ」
「それがよ、まるで神隠しに遭っちまったみてぇに、吉原からぷっつりと姿を消しちまったのよ」
とたんに、おゆふの切れ長の目が見開かれる。
「わっちは淡路屋へ嫁入ってからは、お廓とはすっかり断ってしもうてなんしゆえ……」
童女のごとく邪気なき様からみるに、おゆふはまったく知らなかったらしい。
そこへ、茶を携えた茶汲み女がやってきた。
「へい、お待っとさんでやす」
茶汲み女は胡座をかいて座す兵馬の前に茶を置くと、すぐに下がっていった。
兵馬は前に置かれた湯呑みを手にし、中の茶をぐいと呷った。
「久喜萬字のお内儀さんにはお会いなんしたか」
「もちろん、会うたさ」
実は手下の伊作や与太だけでなく、あれから兵馬もまた御役目の合間を縫って久喜萬字屋へ出向いていた。
「お内儀さんは、舞ひつるは今何処に居りなんしと云うてなんしかえ」
「お内儀はよ、『ちょいと具合を悪うしちまって、養生のためにしばらく余所へやってる』の一点張りなのよ」
お内儀は頑として同じ返事であった。
「じゃあ、『いつ帰ってくるんでぇ』って訊いたらよ、お内儀は『いつ具合が良うなるかは舞ひつる次第』って云いやがってよ。それに、おれがあんまりしつこく訊くもんだからさ……」
兵馬は少々気まずげに、その整った顔を歪めた。
「『若さまはなぜ、そないにも舞ひつるの行方を知りたいのか』って、お内儀から逆に訊かれちまってよ」
「まさか……あの頃の若さまは……わっちだけやのうて、舞ひつるとも逢引きしなんしてたのかえ」
「お、起っきゃがれっ。人聞きの悪りぃこと云うんじゃねえよっ」
兵馬は思わず声を荒げた。
「おれがおめぇと示し合わしたのは、明石稲荷で会うたあの最後の一日こっきりじゃねぇかよっ」
あの頃、久喜萬字屋の二階から往来を行く兵馬の姿を見かけると、「玉ノ緒」は偶々を装い見世の外までいそいそと出て行った。妹女郎の禿のうち、口が固くてしっかり者がその「供」となった。
兵馬と面と向かっても、物陰に隠れて二言三言交わすくらいであったが、流石は吉原の振袖新造の手管である。
見世では御法度である我が「真名」を名乗り、
『わっちのことは『おゆふ』と呼んでおくれなんし』
と、いとけなき面持ちで乞い願った。
さような中、玉ノ緒が淡路屋に身請けされることが決まると、どうしても我が胸の裡を兵馬に告げねばと云う心持ちが抑えきれなくなった。
そこで、いつも供にしている禿を遣わし『後生でありんす』と云わせて、渋る兵馬を尻目に半ば無理矢理約束を取りつけさせ、明石稲荷で「逢引き」したのだ。
「若さまは……」
おゆふの切れ長の目に、虚ろな影が差した。
「舞ひつるとは、幾度も逢引きしておりなんしたか……」
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