大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

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大詰

口上〈伍〉

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   兵馬は開けられた裏口からへっついのある土間へ、すっと身を滑り込ませた。

   急いで奥へと引き返して行ったおきく・・・を待っていると、しばらくして派手さはないが上質そうな着物を纏った女が出てきた。

「……兵馬殿、如何いかがなされた」

   の屋敷の主人あるじの奥方である芙美ふみだった。兵馬の母の志鶴とほぼ同じ歳頃のおなごである。

「伯母上、先触れもなく御無礼つかまつってごさる」
  兵馬は頭を下げ、非礼を詫びた。

おもてを上げられよ。此処ここはそなたの家も同然、遠慮は無用にてござりまする」

   武家の妻である芙美は、火急のことかと察してすんなりと応じた。
   そして、兵馬を主人のいる奥の間に案内あないするよう、おきくに命じた。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   当家の家人が使う部屋では間違いなく一番立派な座敷に、兵馬は通された。

「おう、兵馬か」
   床の間を背に、文机ふづくえの前に座していた当主が顔を上げた。

   母・志鶴の兄、佐久間さくま 帯刀たてわきであった。

   されども、甥の返事もろくに聞くことなく、すぐにの目を落とす。
   先程から、白紙の巻物を左手ゆんでに、右手めてではすらすらと筆を走らせていた。

「伯父上……本日は一段と筆が進んでござるか」

   兵馬に声をかけられて、帯刀は再び目を上げた。

「此度もまた、ちまたでの話の種を持ってきておるのか」


   兵馬の父・松波 多聞たもんが南町奉行所の筆頭与力なのに対し、北町奉行所では佐久間 帯刀がの任に就いていた。
   松波家同様、佐久間家が代々御公儀より賜ってきた御役目である。

   実は帯刀は、さような「一足目の草鞋わらじ」とは別に「戯作げさく者」と云う「二足目の草鞋」も履いていた。

   この頃、木版印刷の向上によって、浮世絵以外にも「黄表紙」と云う変体仮名でものされた挿絵付きの戯作小説本が、廉価で世間に出回っていた。

   変体仮名の識字率がほぼ十割と云われた江戸の庶民に、かような黄表紙は安価なのも手伝って売れに売れた。

   すると、戯作者を目指す者が一気に増えて、中には御公儀に仕える旗本・御家人や諸藩に仕える藩士の身でありながら、趣味や実益を兼ねて戯作者になる者まで現れた。

   実際のところ、「南総里見八犬伝」の滝沢(曲亭)馬琴、「金々先生栄花夢」の恋川春町、「半日閑話」の太田南畝などが、本来の御役目を隠して密かに筆を執っていた。

   帯刀もそのうちの一人であった。

   代表作「八丁堀浮世募恋鞘当はつちよぼりうきよにつのるこひのさやあて」は、江戸に生きる与力、武家の娘、同心、吉原の遊女——四人の男女たちが切なく絡み合う恋模様が綴られており、戯作だけにとどまらず歌舞伎の演目にもなり、凄まじいまでの人気を博した。


「版元からは先頃の『傾城振袖絞戀涙けいせいふりそでしぼるこひのなみだ』の売れ行きも悪うはないが、もっと町家の者たちの目を引く話の種はないか、と催促されておってな」

「……しからば、先達せんだっそれがしの耳に入った、とある話がござらぬでもないが」

「兵馬、本当まことか」
   帯刀が身を乗り出した。

「されども、そのまま伯父上のお耳に入れるには、ちと仔細しさいがござってな……」
   兵馬が腕を組んで考え込む。

「おい、勿体つけずにはよう云え」
   思わず、帯刀は声を荒げた。

   そもそも、甥であるこの兵馬に、戯作者と云う「二足目の草鞋」を気づかれたのは、帯刀にとって一生の不覚であった。

   それは、妹である兵馬の母・志鶴しづるが二人目の子をはらに宿し、この佐久間家に里帰りしていた折に起こった。

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