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大詰
口上〈参〉
しおりを挟むだが、大きく左右に頭を振る。
「いや、まさか……さようなことはあるまい」
目の前のおなごが「舞ひつる」のはずがない。
吉原の廓で生まれ育った妓が、かように武家の男の妻となって嫁げるわけがない。
それに、兵馬の「妻」となった者は……
——「美鶴」と名乗ったではないか。
恐らく、他人の空似であろう。
「そちの顔など、金輪際見とうない。……即刻、この場から立ち去れ」
兵馬の凍えきった低い声だけが、閨の場に響いた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
「わ、若さま……」
まだ夜も明けやらぬうちに兵馬に呼ばれたおせいは、言葉を失った。
初夜を迎えた真っ白な羽二重の夜具には、花嫁の破瓜の証である鮮血がべっとりと付いていたからだ。
奉行所の中でも兵馬たち「町方役人」は、町家を泥臭く駆けずり回るお役目である。
よって、血気盛んな者たちの刃傷沙汰はよくあることで、その生き死にも関わる。夥しい血を見るのは日常茶飯事であった。
ゆえに、同じ奉行所で日がな文机に座っている「綺麗ぇ」な御役目の役人たちからは、陰で「不浄役人」と呼ばれて蔑まれているくらいだ。
——案ずるな。かような血など、見慣れておるはずではないか……
兵馬は夜具から目を逸らし、己自身に云い聞かせた。
「おせい、なにをつっ立っておる。早う始末をせぬか」
ともすると、「夫」から手荒に扱われながらも身を固くしてひたすら耐えていた「妻」の姿が甦ってくるような心持ちがして、兵馬は思わず声を荒げた。
とたんに、おせいの顔が強張って、みるみるうちにその目に怒りの色が浮かんできた。
おせいは、兵馬が生まれたときから身の回りの世話をしてきただけでなく、母親の嫁入り前から此の松波家に仕え、家中の者から頼りにされている奉公人だ。
——まずい。母上に告げ口されでもすれば、厄介でござるな。
我が母の、まるで天女が下賤なこの世の者に放つかのごとき神々しさでありながら、滅法界もなく恐ろしき気配を漂わすその顔が、兵馬の脳裏を過ぎった。「筆頭与力」の父ですら、恐れ慄いているのだ。
——それに、どうしても調べねばならぬことがあるしな……
兵馬は、しばらく家を空けることを決めた。
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