大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
98 / 129
九段目

媾曳の場〈肆〉

しおりを挟む

——あの二人が、逢引しておる姿なぞ……初めて見た、というわけではあらぬのに……

   なぜ、かように涙が止まらぬのか、美鶴には皆目わからなかった。

   まだ吉原のくるわにいた時分、
りぃ、ちょいと野暮用ができて明日はおめえさんの「供」ができねえ』
   兵馬からさように云われたあくる日……

舞ひまいつる」と呼ばれていた美鶴と毎日のように会っていた、あの明石稲荷で……

   兵馬は——玉ノ緒と逢っていた。

久喜萬字屋くきまんじやで、振袖新造ふりしんやってたっうおなごだ。南町奉行所うちの息のかかった岡っ引きや下っ引きに調べさせたところによると……』

   不意に、兵馬の父・松波 多聞から告げられた言葉を思い出す。

『あいつら、しょっちゅう人目を忍んでは、吉原のはじにある御堂で逢引してやがったらしい』

——わたくしは……何のために、松波の御家おいえにおるのか……

   兵馬が「松波の嫁」として望んでいたのは……

——わたくしではのうて、玉ノ緒でござったと云うに。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   辻駕籠かごを呼びに行ったおさと・・・が戻ってきた。
   おさとに支えられるようにして、美鶴は水茶屋から外へ出る。

    駕籠きの男たちが垂れむしろを上げて、すでに店の前で待っていた。
   袖頭巾そでずきんの前を改めて深く下ろした美鶴は、さらに袖口で顔を隠しながら辻駕籠に乗り込む。

   筵がばさりと下ろされ、駕籠が掛け声とともに持ち上がる。美鶴は天井から垂らされた紐に、あわててしがみついた。

   また掛け声がして、駕籠はゆっくりと歩み出した。


   道中、駕籠に揺られているうちに、だんだんと心が凪いできたのか……

   または、だれにも顔を見られなくなって、やっと心の底から落ち着いてきたのか……

   あふれ出て止まらなかった美鶴の涙が、ようやく止まった。

——姑上ははうえ様に、かような不様ぶさまな顔を見せずに済む……

    美鶴は安堵した。武家の嫁としての「恥」であるし、なにより松波の家人たちを心配させることになる。

——おさとには、固く口止めせねばならぬな……

   美鶴は一つ、深いため息を吐いた。


   駕籠舁きの男たちの足が止まって、駕籠が地面に下ろされる。早速、垂れ筵がはらりとめくられる。

「御新造さん、お待っとさんで。着きやした」

   にっこりと笑ったおさと・・・の顔が其処そこにあった。

「お足元、お気をつけくだせぇ」

   おさとは甲斐甲斐しく美鶴の手を取り、駕籠から出るのを介添えする。

「お、おさと……」

   駕籠から出た美鶴は、目の前に建つ家屋を見て、目を見開いた。

   駕籠舁きの男たちに手間賃を支払うため、帯に挟んだ紙入れを出していたおさと・・・が振り向く。

「こ、此処ここは……何処いずこじゃ……」

   美鶴は目の前の家屋を指差し、震える声で尋ねた。

   其処は——南町の組屋敷にある、松波家の御屋敷ではなかった。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

1333

干支ピリカ
歴史・時代
 鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。 (現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)  鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。  主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。  ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。 その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。 姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。

大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった――― 関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった ―――鎖国前夜の1631年 坂本龍馬に先駆けること200年以上前 東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン 『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです ※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

処理中です...