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九段目
媾曳の場〈肆〉
しおりを挟む——あの二人が、逢引しておる姿なぞ……初めて見た、というわけではあらぬのに……
なぜ、かように涙が止まらぬのか、美鶴には皆目わからなかった。
まだ吉原の廓にいた時分、
『悪りぃ、ちょいと野暮用ができて明日はおめえさんの「供」ができねえ』
兵馬からさように云われた翌る日……
「舞ひつる」と呼ばれていた美鶴と毎日のように会っていた、あの明石稲荷で……
兵馬は——玉ノ緒と逢っていた。
『久喜萬字屋で、振袖新造やってたっ言うおなごだ。南町奉行所うちの息のかかった岡っ引きや下っ引きに調べさせたところによると……』
不意に、兵馬の父・松波 多聞から告げられた言葉を思い出す。
『あいつら、しょっちゅう人目を忍んでは、吉原の端にある御堂で逢引してやがったらしい』
——わたくしは……何のために、松波の御家におるのか……
兵馬が「松波の嫁」として望んでいたのは……
——わたくしではのうて、玉ノ緒でござったと云うに。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
辻駕籠を呼びに行ったおさとが戻ってきた。
おさとに支えられるようにして、美鶴は水茶屋から外へ出る。
駕籠舁きの男たちが垂れ筵を上げて、すでに店の前で待っていた。
袖頭巾の前を改めて深く下ろした美鶴は、さらに袖口で顔を隠しながら辻駕籠に乗り込む。
筵がばさりと下ろされ、駕籠が掛け声とともに持ち上がる。美鶴は天井から垂らされた紐に、あわててしがみついた。
また掛け声がして、駕籠はゆっくりと歩み出した。
道中、駕籠に揺られているうちに、だんだんと心が凪いできたのか……
または、だれにも顔を見られなくなって、やっと心の底から落ち着いてきたのか……
あふれ出て止まらなかった美鶴の涙が、ようやく止まった。
——姑上様に、かような不様な顔を見せずに済む……
美鶴は安堵した。武家の嫁としての「恥」であるし、なにより松波の家人たちを心配させることになる。
——おさとには、固く口止めせねばならぬな……
美鶴は一つ、深いため息を吐いた。
駕籠舁きの男たちの足が止まって、駕籠が地面に下ろされる。早速、垂れ筵がはらりと捲られる。
「御新造さん、お待っとさんで。着きやした」
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「お足元、お気をつけくだせぇ」
おさとは甲斐甲斐しく美鶴の手を取り、駕籠から出るのを介添えする。
「お、おさと……」
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「こ、此処は……何処じゃ……」
美鶴は目の前の家屋を指差し、震える声で尋ねた。
其処は——南町の組屋敷にある、松波家の御屋敷ではなかった。
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