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九段目
媾曳の場〈弐〉
しおりを挟む駕籠が伝馬町に着いた。饅頭屋の前でその駕籠が下ろされる。
美鶴は目隠しの簾の隙間から、外の様子を窺った。すると、饅頭屋は表に人が溢れるくらい賑わっていた。
すぐに駕籠から降りたおさとが、美鶴の乗る駕籠に声をかけた。
「あたいが店ん中を見てくるんで、御新造さんはちょいとここで待ってておくんなせぇ」
そして、おさとは店へと入っていった。
しばらくして、おさとが戻ってきた。
「御新造さん、店の者が数を用意するのに暇がかかるって云っておりやす」
おそらく、姑は土産として屋敷の皆の分を所望したのであろう。
「此れだけ繁盛しておる店じゃ。仕方あるまい。されども、店先で長居するわけにも行かぬな」
武家の妻女がいつまでも居る処ではなかった。
「……そうじゃ、水茶屋にでも参って、お茶でも飲みながら待たぬか」
「えっ、いいんでやすかい」
おさとの声が高く弾む。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
大通りの目立つ店では具合が悪いと思っていたら、少し入った処にこじんまりとした水茶屋があった。
その水茶屋へ入ろうとした処で、ゆっくりと美鶴が振り向いた。
「……弥吉」
弥吉が訝しんだ顔になる。
「せっかく町家に来たのじゃ。ちょいと、おさとと二人っきりで羽を伸ばさせておくれ」
とたんに、弥吉の切れ長の目が見開く。
「おまえも、せっかく町家へ参ったのじゃ。……櫛の一本でも、土産に買うて来なされ」
その目が、ますます見開く。
「弥吉さん、なにしてんだい。御新造さんがこう云ってくだすってんだ。早う行きなよ」
おさとも「加勢」して囃し立てる。
「そ、そいじゃあ……す、すぐに戻ってきやすんで……ご、御免なすって」
弥吉はめずらしく口ごもりながらそう云うと、くるりと踵を返した。
そして、年端も行かぬ若衆のごとく、一目散に駆けて行った。
「弥吉さん、おせいさんに似合う櫛、ちゃんと見つけてきやすかねぇ」
おさとは、にやにやしながら見送った。弥吉の娘と云っていいほどの歳なのに、これではどちらが大人か知れやしない。
「さ、中へ入るぞよ」
おさとを促しつつ、美鶴は手にしていた黒縮緬の袖頭巾を被った。武家の妻女が、町家の者たちに無闇矢鱈と顔を曝すわけにはいかない。
奥まった水茶屋は、大通りにある賑やかな店とは違って、落ち着いた佇まいをしていた。先ほどから商家の手代のような者たちと数人すれ違っただけで、人通りもまばらだ。
「ちょいと、御免よ」
おさとが暖簾を払って店の内へ声をかける。
「へぇ、らっしゃい。何人さんで」
店の中から、縞の長い前垂れ(前掛け)をした若いおなごが出てきた。水茶屋で働く「茶汲み娘」だ。
別嬪の茶汲み娘のいる水茶屋は、老いも若きもこの娘を目当てにやってくるため、たいそう繁盛する。
茶一杯に四文銭で十枚ほど(約五百円)が相場であるが、人気の娘には客がその前垂れに歌舞伎役者よろしく「おひねり」を捩じ込む。
「あたいと、こん人と二人なんだけどさ。積もる話があんだ。悪ぃけど、表からは見えねぇ処に案内しとくれよ」
「あい、わかりやした。……こっちゃどうぞ」
茶汲み娘は店の奥の小上がりへと、美鶴たちを案内する。
すると、そのとき……一番奥の小上がりから、男と女が出てきた。
「……こんな真っ昼間に媾曳でさ」
おさとが、ひそひそと声にならない声でつぶやいた。
「男の方は見るからに御武家様で……女の方は……ずいぶん綺麗なお着物を着てなさるから……商家の若女将かもしんねぇな」
袖頭巾を被り、うつむきがちだった美鶴の顔が上がった。
ちょうど、男女が寄り添い合うように並んで、出入り口であるこちらへやってくる処であった。
「ま…まさか……」
美鶴の顔から血の気が引いた。思わず、袖口を口元に寄せる。
其処にいたのは……美鶴の夫である兵馬と……
——玉ノ緒が……なにゆえ、此処に……
なにゆえ……旦那さまと……
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