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九段目
離礁の場〈陸〉
しおりを挟む——辛うないはずなぞ、あるわけない……
だが、此度のことは美鶴や広次郎や……そして兵馬ですら抗うことができぬ「権力」によって導かれていた。
広次郎はきっと、叔父であり今や養父となった島村 勘解由より、美鶴が祝言を挙げる相手が我が身ではなく松波家の嫡男・兵馬であることを、予め聞かされていたに相違ない。
にもかかわらず、我が身が何故、かような「当て馬」のごとき身に甘んじなければならぬのかは、勘解由の口からはいっさい語られることはなかったであろう。
おそらく其れが「島村 広次郎」としての、初めての「御役目」であったのかも知れぬ。
そして、広次郎だからこそ、其の任に耐えられると勘解由に看做されたからこそ、此の御役目が与えられたのであろう。
美鶴には、さように感じられてならなかった。
されども……
今さら、其れを広次郎に確かめることはない。確かめて、如何なると云うのか。
美鶴は、今や南町奉行所の筆頭与力の御家の「嫁」である。
婚家の松波家が「上」の意向に従いさように判じたのならば、美鶴もまた其れに従うまでだ。
迂闊に口を滑らせれば、「御家の恥」にもなりかねない。
武家にとっての「恥」は万死に値する。
ゆえに、美鶴は微笑みながら、ゆっくりと左右に首を振った。
「松波の御家では……皆から良うしてもらっておりまするゆえ」
松波の家人たちが美鶴を下にも置かぬ扱いであることに、嘘偽りはなかった。
——ただ、旦那さまを除いては……
その微笑みに、ふっと哀しみの影が差してしまったのは、如何しようもないことであった。
「……それは、良うござった」
さように云って、広次郎もまた微笑んだ。
それは、とてもやさしげな笑みであった。
されども、その笑みは、なぜか……とても哀しげでもあった。
そして、とても——せつなげでもあった。
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