大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
91 / 129
九段目

離礁の場〈参〉

しおりを挟む

   それからしばらく経ったある日の朝、おせいが美鶴の部屋へ来て尋ねた。

「御新造さん、今日はなにか御用でもありなさるのかい」

   つい今しがた、美鶴は朝餉あさげを終え、おさとが箱膳を片しているところであった。

「いいや、特にはなにもあらぬが」

   相変わらず「夫」が帰ってこない毎日、縫い物などくらいしか為すことがなかった。正直云って暇を持て余していた。

「そろそろ御新造さんも、松波様の御屋敷に落ち着きなすった頃でやんしょう。御実家に置いてきなすったもんで手許に置きてぇのがあるんじゃないか、って奥様がおっしゃってなさるんでやすが……」

   世間の目に極力触れぬ必要があったとは云え、まるでかどわかしに遭うかのごとくいきなり駕籠かごに乗せられ、美鶴はの松波家に連れてこられた。

「『御実家』とは……」

「北町の島村様の御家でさ」

——えっ、姑上ははうえ様が……わたくしを……島村の御家へ……

   確かに、ありがたきこととは思うが、生憎、美鶴には島村の家にそないに後生大事にするほどの物はなかった。

   されども、おさとが口を開き、
「御新造さん、参りやしょう。手慣れた針箱の方が、きっと縫い物も捗りやす。あたいがお供さしてもらいやすんで」
   そう云って頭を下げた。

「おさとのような島村の御家に勝手知ったるもんが付いてった方が、こっちも安心だ。あと荷物持ちにもう一人、男衆おとこしゅ中間ちゅうげんでも連れて行っておくんなせぇ」
   おせいも、うんうんと肯きながら美鶴を促す。

「……相分あいわかった。姑上様のお云い付けどおり、島村の家へ参ろうぞ」

   美鶴はあまり気乗りはしないものの、姑・志鶴の心遣いもあって承知した。

「では、おせい、姑上様にさように伝えておくれ。おさと、わらわの支度を頼む」


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   おさとに手伝わせて支度を整えたあと、美鶴は島村の御家おいえへ向かった。

   北町と南町に分かれてはいるものの、同じ組屋敷の内である。美鶴は二人の供を連れて、徒歩かちで参ることにした。

   おさとがぴったりと美鶴の後ろに付き、付かず離れずの頃合いで中間ちゅうげんの男が従っていた。

   男の名は弥吉やきちと云った。舅の松波 多聞たもんが、まだ見習い与力だった頃より仕えていた古参の中間だが、今は兵馬に付き従っている。

   上背うわぜいがあるわけではなく胸板も薄いため、体格に恵まれているわけではないが、松波の家人の中では滅法腕っぷしが強いと評判だった。
   さらに、目鼻立ちがすっきりと整った面立おもだちで、若い頃にはなかなかの女泣かせの色男であったと思われる。

——なにやら、吉原のくるわにおる用心棒の男衆おとこしゅのごとき者であるな。

    初めて弥吉にうたとき、美鶴はさように感じた。

『御新造さん、弥吉と申しやす。お初にお目にかかりやす』

   口許くちもとにうっすらと笑みを浮かべてはいるが、切れ長のその目は決して緩んではいなかった。
   まるで、美鶴の出自ごと見透かされそうになるほど、鋭き目であった。

——できれば、ほかの中間が良うござんした。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

真田幸村の女たち

沙羅双樹
歴史・時代
六文銭、十勇士、日本一のつわもの……そうした言葉で有名な真田幸村ですが、幸村には正室の竹林院を始め、側室や娘など、何人もの女性がいて、いつも幸村を陰ながら支えていました。この話では、そうした女性たちにスポットを当てて、語っていきたいと思います。 なお、このお話はカクヨムで連載している「大坂燃ゆ~幸村を支えし女たち~」を大幅に加筆訂正して、読みやすくしたものです。

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――

黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。  一般には武田勝頼と記されることが多い。  ……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。  信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。  つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。  一介の後見人の立場でしかない。  織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。  ……これは、そんな悲運の名将のお話である。 【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵 【注意】……武田贔屓のお話です。  所説あります。  あくまでも一つのお話としてお楽しみください。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

暁のミッドウェー

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。  真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。  一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。  そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。  ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。  日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。  その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。 (※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)

処理中です...