大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
86 / 129
八段目

岳父の場〈参〉

しおりを挟む

゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


『……父上』
   兵馬は座敷に入ってきた多聞に、いきなりひれ伏した。

『なんでぇ、藪から棒によ。気色のりぃ』
   多聞はいぶかしげに息子を見つつも、どかっと腰を下ろした。

『松波 兵馬、一世一代の頼みがあってござる』

   兵馬はひれ伏したまま告げる。

『ある者を身請みうけして……我が妻にしとうござる』

『はぁ、「身請みうけ」だと……おめぇさん、まだ見習いのくせに、んな言葉どこで覚えてきゃぁがった。寝惚けてんじゃねぇのか』

   多聞のきりりと形の良い眉の片方が、ぴくりと上がった。

『どこぞの女郎にねやで骨抜きにされ、うめぇこと寝物語されて強請ねだられたか、兵馬』

   ふんっ、とあざけるようにわらう。

『んなことのために、おりゃぁおめぇを吉原へ寄こしたんじゃねぇぜ』

   そう云って、多聞は忌々しげに莨盆たばこぼんを手元に引き寄せた。煙管きせるを取り上げ、一番上の抽斗ひきだしから出した刻み莨を丸めて、雁首の火皿に置き、火入の炭火でべた。

   そして、深く一服する。気を鎮めるためだった。

   だが、どうやらうまく行きそうにない。肺の腑に含んだ煙は心のうちと同じで、いがいがするだけだ。

『父上、我が妻にしとうござるのは、決してさようなおなごではござらん。くるわにおるとは云え、まだだれの手も付いてはおらぬきよらかな身のおなごにてござる』

   兵馬は、がばっ、と身を起こした。

『歌舞音曲に明るいのは云うまでもなく、和漢にも秀でている上に、客人のあしらいまでけておるおなごは、この組屋敷界隈にはおよそおりますまい。なによりも……世知辛せちがらい町家の浮世のさまを身をもって知ってござる』

   父親譲りの眼光鋭き目で、滔々と告げる。

『さすれば必ずや……この松波家で……代々御公儀より「町与力」と云う町家の者を束ねる御役目を賜るこの松波家で……父上や母上のお導きの下、嫁として立派に勤めを果たしてくれることと存じまする』

『起っきゃがれっ、兵馬』

   多聞は莨盆たばこぼんにある灰入のふちを、煙管で鋭く叩いた。カン、という響きとともに、役目を果たした刻み莨が、ぽとり、と灰入の中に落ちる。

『初めて惚れた女への熱に浮かされて、軽ぅく「身請みうけ」って云ってやがっけどよ。おんな一人、落籍かせんのに、どんだけ金を積まねぇといけねぇのか、おめぇ知ってんのか』

   多聞には今の兵馬の心のさまが、手に取るがごとくわかった。焦りに焦る心持ちはお見通しだ。男であれば一度は通る道である。
   多聞もまた、若き頃に歩んだ道であった。

   「身請みうけ」するためには、親元に支払った負い目(借金)の残り全額およびそれに掛かる金利に、おんなの格とその見世での稼ぎ具合によって決まる「身代金」を上乗せして、しかも一括で払わねばならない。
   おそらく、数百両は覚悟せねばならぬであろう。

『それに、かようなことが奉行所に知れてみろ。先祖代々の与力の御役目が召し上げられるやもしれんぞ。……兵馬、おめぇ、御先祖様に顔向けできるか』

   兵馬は唇を、きつく噛んだ。もし、御役目を召し上げられたら、この屋敷どころか組屋敷にも住めぬかもしれない。家人を路頭に迷わすことになる。
   また、松波と関わる御家おいえにも何らかのさわりがあるやもしれぬ。

   兵馬一人の問題ではなかった。お武家の御家おいえに、おいそれとくるわおんなを嫁を迎えるわけにはいかないのだ。

『さりとてっ……父上っ』
   なおも、 兵馬は喰い下った。

   そのとき、多聞の声色ががらりと変わった。

『諦めろ。どう足掻あがいても果たせぬ望みだ』

   屹然とした声が部屋に響く。有無も云わさぬ、一族郎党を預かる惣領の声だった。


何故なぜなら……おまえには、すでにもう決められた相手がおるからだ』

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

WEAK SELF.

若松だんご
歴史・時代
かつて、一人の年若い皇子がいた。 時の帝の第三子。 容姿に優れ、文武に秀でた才ある人物。 自由闊達で、何事にも縛られない性格。 誰からも慕われ、将来を嘱望されていた。 皇子の母方の祖父は天智天皇。皇子の父は天武天皇。 皇子の名を、「大津」という。 かつて祖父が造った都、淡海大津宮。祖父は孫皇子の資質に期待し、宮号を名として授けた。 壬申の乱後、帝位に就いた父親からは、その能力故に政の扶けとなることを命じられた。 父の皇后で、実の叔母からは、その人望を異母兄の皇位継承を阻む障害として疎んじられた。 皇子は願う。自分と周りの者の平穏を。 争いたくない。普通に暮らしたいだけなんだ。幸せになりたいだけなんだ。 幼い頃に母を亡くし、父と疎遠なまま育った皇子。長じてからは、姉とも引き離され、冷たい父の元で暮らした。 愛してほしかった。愛されたかった。愛したかった。 愛を求めて、周囲から期待される「皇子」を演じた青年。 だが、彼に流れる血は、彼を望まぬ未来へと押しやっていく。 ーー父についていくとはどういうことか、覚えておけ。 壬申の乱で散った叔父、大友皇子の残した言葉。その言葉が二十歳になった大津に重く、深く突き刺さる。 遠い昔、強く弱く生きた一人の青年の物語。 ――――――― weak self=弱い自分。

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

復讐の芽***藤林長門守***

夢人
歴史・時代
歴史小説の好きな私はそう思いながらも一度も歴史小説を書けず来ました。それがある日伊賀市に旅した時服部ではない藤林という忍者が伊賀にいたことを知りました。でも藤林の頭領は実に謎の多い人でした。夢にまで見るようになって私はその謎の多い忍者がなぜなぞに覆われているのか・・・。長門守は伊賀忍者の世界で殺されてしまっていて偽物に入れ替わっていたのだ。そしてその禍の中で長門守は我が息子を命と引き換えに守った。息子は娘として大婆に育てられて18歳になってこの謎に触れることになり、その復讐の芽が膨らむにつれてその夢の芽は育っていきました。ついに父の死の謎を知り茉緒は藤林長門守として忍者の時代を生きることになりました。

処理中です...