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七段目
来今の場〈参〉
しおりを挟む出迎えられた女中に案内されつつ、美鶴はだだっ広い屋敷内の庭に面した回廊をしばらく歩んで行くと、やがて座敷に通された。
さぞかし腕利きの職人の手が入ったと思われる立派な庭が雪見障子の向こうの縁側から一望できる、日当たりの良い明るい部屋だった。
此処は広次郎の生家である内与力・上條の御家に違いないと、美鶴は思い定めた。
——さすれば……このあと初めて広次郎さまの御父上・御母上にお目にかかり、わたくしは「嫁」としての御挨拶を遣りおおせねばならぬのではあるまいか。
つい今しがた挙げた祝言の席で、広次郎の父親には御目通りしたはずであるが、ただでさえも俯きがちであった上に綿帽子の陰に隠れてほとんど前が見えず、顔かたちもその形もまるで覚えていない。
かろうじて、我が身の前方に見知った島村 勘解由が座していたのが判ったくらいである。
勘解由は、美鶴が養女として幾重にも縁組された一番最後の御家の「名代」として祝言の場にいた。
——とにかく、御両親の前では広次郎さまの恥にならぬよう、しかと口上を述べねばならぬ。
美鶴は気を引き締めた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
夕刻になって、美鶴は先ほどの女中が支度した夕餉を座敷で一人食した。
もともと、武家では夫婦であれ同じ場で食すことはないゆえ、当然のことであった。
そのあとは、界隈の組屋敷の者たちが通っていると云う湯屋(銭湯)へ案内されて、今日の疲れを洗い流した。
しかしながら、美鶴は未だに屋敷の主人にも妻女にも、そして広次郎にも会えていなかった。
「旦那様や奥様には明日御目通りなさるんが『武家の仕来り』ってこってす。そいから、若旦那様は急な御役目っつうこって、祝言が終わったその足で奉行所の方へ向かいなすったんで、御屋敷に戻ってきなさるんは大方夜半になりそうでやす」
奥様からの言付けだと云って、女中が美鶴に伝えた。
今日のうちに御両親に御目通り叶わず、さすれば口上も告げられぬのは残念至極であるが、これが武家の仕来りで不義理にならぬのであらば仕方あるまい。
『嫁ぎ先の御両親様に不義理を働くことこそが、武家の女にとっての御法度にてござりまする』
武家の育ちでない美鶴にとって、刀根の教えに則ることが、唯一我が身を助く道となる。
美鶴は一つ肯いた。
すると、女中は一礼して座敷を座した。その折、夜具とともに縫い物の道具を一式置いて行ってくれた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
夜半近くになるまで、美鶴は縫い物をして気を紛らわせていた。
されども、明障子の向こうの空はいつしか真っ暗闇となっていた。
——そろそろ、刻だ。
夫となった広次郎がいつ御役目から戻ってきてもいいように、閨に望む支度を始める。
美鶴は着ていた着物を脱いで、真っ白な寝間着に着替えた。寝間着、といっても、もう一つの「花嫁衣装」である。
支度されていたのは、滑らかな肌触りの羽二重の上物だった。
すっかり着替えを終えた美鶴は、きっちりと正座して女中が再び現れるのを待った。
武家の妻は、夫とは寝間が別である。夫から同衾するよう申しつけられたときに、妻が夫の寝間へ通うことになっている。
やがて、女中が美鶴を呼びに来た。
——今宵は「初夜」である。
美鶴は覚悟を決めて、立ち上がった。
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