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七段目
祝言の場〈肆〉
しおりを挟む真っ白な綿帽子に檳榔子黒の裲襠を羽織り、真っ白な錦織の懐剣袋を帯に差した姿の美鶴が、手を引かれて祝言の執り行われる座敷に入る。
上座にあたる大広間の奥の、向かって左側に花婿が、そして右側に花嫁の美鶴が並んだ。
さらに、その両側を挟むようにして花婿の横と花嫁の横に、仲人役の武士であろうか、それぞれが腰を下ろす。
おもむろに、花婿が一同に対して平伏する。花嫁の美鶴もそれに倣う。
すぐ隣にいるのに、お互い正面を向いているし、緊張のためか俯きがちになっているしで、隣にいる上條 広次郎の表情はわからない。
花婿が頭を上げた。やや遅れて、花嫁の美鶴も頭を上げる。
座敷の左側には広次郎の父親と思しき壮年の武士が、そして右側には弟にあたる島村 勘解由が座していた。
ほかの者はだれもいなかった。
また、やはり公方様の忌引のためなのか、目の前には酒どころか膳の一つも並べられていなかった。
今日のこの日は二人の門出を祝う、目出度き祝言の日であるはずなのに……
花婿・花嫁が三献の儀である三三九度の盃を交わしたあとは、今日の善き日を寿ぐための「高砂」の謡もなく……
一同が終始おし黙ったまま、祝言はそれでも滞りなくあっさり終わった。
そして、この日嫁入りした美鶴は……
——「武家の娘」から「武家の妻」になった。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
島村 勘解由は上座に居並ぶ、花婿と花嫁に目を向けた。
おもむろに、花婿が平伏する。少し遅れて、花嫁も嫋やかに頭を下げる。
勘解由は、花嫁御寮の美鶴に目を移した。
俯きがちなうえに真っ白な綿帽子の所為で、その下で如何なる表情をしているのかは、皆目わからない。
また、公方様が愛息を亡くされた忌引の最中であるがゆえに、晴れがましき慶事にもかかわらず、花嫁はまるで漆黒の闇夜のごとき裲襠を纏い、さらに酒はおろか膳の一つも出ていない。
そもそも、この祝言そのものが、奉行所の者たちにほとんど知られることなく密やかに行われていた。
花婿・花嫁が、三献の儀である三三九度の盃を交わした。
これで、晴れて二人は夫婦となった。
本来ならば、このあと今日の善き日を寿ぐための高砂の謡が続くものである。
だが、それもない。さすれども、祝言は滞りなく粛々と進められていく。
勘解由はもう一度、上座の二人に目を向けた。最後の締めに、花婿が平伏するところであった。
さすが父子である。目の前に座る壮年の武士の若い頃に、瓜二つであった。
少し遅れて、美鶴が嫋やかに頭を下げる。
その姿こそ——まさに「生き写し」と云ってよかった。
勘解由の口元が、目に見えるか見えないかのところで、ほんの僅か動いた。
そしてこの刹那——
我が身がまだ「島村 尚之介」と名乗っていた頃のことが、脳裏に甦ってきた。
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