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七段目
祝言の場〈弐〉
しおりを挟むいきなりのことに、身も心もついていかない。
確かに島村 勘解由からは、上條 広次郎と夫婦になる定めであると云うことは聞いていた。
だが、まさかかように急に祝言の日が来るとは思わなかった。
——せめて、前もって知らせてくれなんしたら、心の支度もできようものを……
美鶴の顔は暗く曇り、伏し目がちになる。
そのとき、いつの間にか背後で美鶴の髪に触れていた女が、髷を形作るために結ばれていた元結を、ぱちん、と手鋏で切り落とした。
とたんに、ばさり、と艶やかな黒髪が降ってくる。
今まで低めに結われていた島田髷を、髪結いがこれから花嫁御寮の文金高島田にするためだった。
「白粉が沁みちまいやすんで、お目を閉じてくだせぇ」
化粧師なのであろう年嵩の女が、美鶴の首筋に刷毛を滑らせながら云う。
「結いづらいんで、お顔は伏せずに上げておいておくんなせぇ」
新しい元結を口に咥えた髪結いの女が、早速髪を束ねつつ云う。
美鶴の着物を脱がした女たちは、髪と化粧が終われば……と、帯や紐を畳の間に広げつつ、そのあとの段取りを話し合っている。
所詮、美鶴には……心のうちで、なにをどう思おうとも……
抗える道理なぞ—— 何処にも赦されていないのだ。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
化粧を終え、髪を文金高島田に結い上げた美鶴に、脇目も降らず支度に掛かっていた女たちが思わず、ほお……っと感嘆の息を漏らす。
「まるで、浮世絵から抜け出てきたみたいに綺麗ぇだねぇ」
「ほんに、そうだねぇ」
「あぁ、あの絵に似てるねぇ。何云ったっけかな。御大名に嫁いで玉の輿に乗った町家のおなごを描いた……忘れっぽくていけねぇ」
「あぁ、そりゃ『笠森お仙』じゃないのかい。鈴木春信のだろ」
「あっ、そいつだよ」
宝暦年間、谷中にある笠森稲荷の門前に水茶屋を構える鍵屋の娘として生まれたお仙は、長じて茶汲み娘となって見世に立つと、その可憐で愛らしき見目かたちが、たちまちのうちに評判となり鈴木春信の浮世絵の手本となった。
世間ではお忍びで出向いた某藩の藩主に見染められ大名家に嫁いだと伝えられているが、「寛政重修諸家譜(寛政譜)」によると、御公儀(幕府)の旗本(幕臣)で隠密の御役目を担っていたとされる御庭番・倉地満済の妻としてその名があり、二人の間に九人の子がいたことがわかる。
ただ、寛政譜ではお仙は水茶屋の娘ではなく、御庭番・馬場信冨の娘となっている。
されども、それはお仙が倉地満済の妻になるために倉地家と家格の合う馬場家と養子縁組をしたゆえであろう。
「こらこら、あんたたち、生まれながらのお武家のお嬢に、なに云ってんでぃ。御無礼だよ」
年嵩の化粧師が、ぱんぱんと手を打つ。
まさに「生まれながら」ではなく、お仙のように「養子縁組」で武家の娘になった美鶴は、女たちに気づかれぬように、ふっ、と苦笑した。
着付けの女二人がはっと我に返って、弾かれたように動き出す。
美鶴の襦袢をきちっと着付け直すと、羽二重の小袖を着せる。あとは裲襠を羽織れば、支度は終わりだ。
だが、しかし——
その裲襠を一目見るなり、美鶴が今まで以上に顔を曇らせた。……いや、強張らせた、と云ってもいい。
掛下の小袖こそ純白の羽二重であったが、その裲襠は黒縮緬だったのだ。
流石に、裾には縁起物である氷川神社の御神木・常盤松を背景に、番の鶴が二羽刺繍されてはいるものの……
この地色では——まるで漆黒の闇に浮かんでいるかのごとく見える。
——もしかして、わっちは……だれからも望まれずして嫁入りするのでは……
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