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七段目
祝言の場〈壱〉
しおりを挟むその日は、目覚めたと思ったら目の前におさとがいて、美鶴は飛び上がるほどびっくりした。
「……お嬢、起き抜けにすまねぇこってす。あと四半刻(約三十分)もすりゃあ、駕籠が来るんで」
おさとはさように云うと、美鶴の着替えの着物を差し出した。
「いったい、朝から何事か。しかも、四半刻までに支度せねばならぬとは、わたくしは駕籠で何処へ参ろうと云うのか」
美鶴は不思議に思って尋ねた。
そもそも、この島村の家に来て以来、向かいの千葉家のほかに美鶴が何処かに出かけるというのは皆無だった。
「それが……あたいもなにも聞かされてなくて。ただ、お嬢が起きなすったら支度を手伝うように申しつけられただけで……」
おさとがすまなそうに答える。
美鶴は仕方なく夜具から出て、寝巻きから渡された着物に着替えることにした。
手早く着替えをし、次は化粧と思っておさとに求めると、
「あ、お顔の方はそのままで、お願いしやす」
なぜか化粧を施すことなく、そのときちょうど裏口に駕籠がやってきたというので、美鶴はいそいそと島村の家を出ることとなった。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
駕籠に揺られて着いた先は、これまた裏口ではあったが、かなりの立派な門構えに見えた。
美鶴は駕籠から降りると、辺りを見渡して供についているはずのおさとを探した。
されども、何処にもいない。
——てっきり、後からついてきてくれているものと、思っていなんしたのに……
なんだか心細く思っていると、裏門が開いて女中らしきおなごが出てきた。
「どうぞ、こちらへ……」
中へ入るよう促されて、美鶴は後ろ髪を引かれる思いで後ろを振り返りながら、門の内へと入って行った。
島村の家も百坪はあろうかという家屋敷ではあったが、此処はその何倍もあろうかという、あたかも御大尽の住む御殿のようであった。
思わず浮き足立ち、美鶴は周囲をきょろきょろと見渡しそうになる。
されども、指南を受けた刀根からの「武家の女」としての心得を忘れてはならぬ。
先ほどの女中に先導されて、美鶴は渡り廊下を楚々と進んだ。
そして、ある座敷へと案内される。座敷の中には、数人のおなごたちが待ち構えていた。
「……『祝言』まで刻がねえんで、早速取りかからせてもらいやす」
年嵩の女がきっぱりと告げる。
それを合図に、おなごたちが美鶴の周りを取り囲んだ。
——しゅ、『祝言』って……
背後に回った女が、二人掛かりで美鶴の帯を解く。ばさりと落ちた着物の下から現れた襦袢の、腰紐がすかさず緩められる。ふわりと浮いた襟元がぐっと後ろへ抜かれるとともに、両肩がぐいっと押し出される。
心許なくなった其処には手拭いが巻かれた。
すると、先程の年嵩の女が刷毛を持って美鶴の前に立った。
「ちょいと冷んやりとしやすが、堪忍してくだせぇよ」
毛先の白く染まった刷毛が美鶴の顔に近づく。
——水化粧でなんし。
吉原で「舞ひつる」であった時分に、毎夜施されていた、水に溶いた白粉を塗る 化粧だ。
されども、町家や百姓家のおなごにとっては、晴れの日である祝言のときくらいにしかしない、特別な化粧である。
なぜ、島村の家を出る前に化粧をさせてもらえなかったのかが、判った。
——わっちは……本日、ほんとうに祝言を挙げなんしかえ。
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