大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

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六段目

遭逢の場〈壱〉

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   その日の島村家は、朝から慌ただしかった。

   の方角にある客間にいる美鶴のところにも、数名いる使用人たちの立ち働く音が聞こえていた。
   時折、思うままに動かぬ使用人のことを叱責しているのか、多喜の荒げた声も漏れ伝わる。

「……おさと、朝から何の騒ぎじゃ」

   おさとに教えてもらいながら、単衣ひとえの着物を縫っていた美鶴は尋ねた。
   隣家の刀根とねのおかげで、ずいぶんと武家の言葉にも慣れてきた。

「お嬢、ひさかたぶりに旦那様が御役目から戻ってきなさるんでさ」
   おさとがうれしそうな顔で答えた。

——えっ、この御家の主人あるじが……

   縫い物をしていた美鶴の手が、思わず止まった。


   そして、その夜——

   いつものように部屋で一人、夕を終えた美鶴のもとへ、おさとがそそくさとやってきた。

   てっきり、食した箱膳を引き上げに来たと思いきや……夕刻、無事帰宅したらしい島村家の当主が、美鶴を呼んでいると云う。

   いよいよ、対面するときが来たのだ……


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   おさとを供にして、美鶴は初めて当家の主人あるじの部屋があると云う母家のに立ち入った。

   とうとう主人の部屋である座敷の前までやって来た。先導していたおさと・・・が脇へと下がって控える。

   美鶴は中庭に面した縁側の明障子あかりしょうじの前で、流れるように着物の裾を捌き、すっと腰を下ろして正座した。

「美鶴にてござりまする」

「……入れ」

   短い返答があったあと、美鶴は明障子に手を添えると、すーっと横に引いた。

「お初にお目にかかりまする。美鶴にてござりまする」
   美鶴は深く平伏した。

おもてを上げて、中に入れ」

   声の主が云うままに、美鶴は顔を上げた。そして、膝を進めて座敷の中へ入る。
   座敷の奥には、懐手をした壮年の男が座していた。

   家中かちゅうゆえ寛いだつむぎの着流しであるが、左右のびんは町家の者のように膨らませずにすっきりと持ち上げられおり、まげは細い上に高く結われた本多髷だ。

——このお方が、「主人あるじ」でなんしかえ。

   ということは——多喜の夫である。

   スッと鼻筋の通ったその面立おもだちは、のっぺりとして見る者に何の印象も持たせない多喜のそれとはまったく異なり、たとえお世辞であったとしてもとても「似合いの夫婦」とは云えなかった。

   主人が切れ長の鋭い目で、まるで射抜くかの如く美鶴を見た。
   その刹那、決してひるむまい、と美鶴は腹にぐっと力を入れた。

「おまえが……美鶴か」
   男のちょっと薄めの唇が開いて、そう問われる。

「さようでござりまする」
   美鶴は、いっさい躊躇ためらうことなく答えた。

     此処ここへ連れてこられた頃には、吉原のくるわでは禁忌であった「真名」を多喜から呼ばれるたびに落ち着かない心持ちでいたのもであったが、今ではすっかり慣れた。「振袖新造・舞ひまいつる」であった時分が、なんだか遠いとおい昔のような気がした。

   遊女の娘として生まれ、母のような呼出よびだし(花魁)になることを夢見て、幼き頃より歌舞音曲の稽古や教養を身につけるための学問に精進した。
   あの頃は、遊女となり年季を終えたあとも、舞や唄の師匠として一生吉原で生きていければよい、とすら思っていた。

   なのに……

——わたくしは……今やすっかり「武家の娘」として生きておる。


それがしが当家を預かる、島村 勘解由かげゆと申す」

   主人あるじが名乗りを上げた。

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