大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
58 / 129
六段目

刀自の場〈肆〉

しおりを挟む

   美鶴がさように思った矢先——

「わたくしを真似まねて云うてみよ」

   不意に、刀根は告げた。

   いきなりのことに驚いた美鶴は頭を上げた。刀根の顔を、不躾ぶしつけなまでにまじまじと見る。

   年齢相応の面立おもだちのいかめしい老女だった。当然のことながら、取り立てて美しいというわけではない。
   されども、一本筋の通った矜持のごときものが、その面差おもざしにはあった。

   残念なことに、島村の家の多喜には見られぬものであった。

——かようなひとが……武家の女子おなごというものでありんしょう。

   美鶴はしみじみと感じ入った。

   その反面——今は亡き師匠を思い起こさせもした。初めて舞を習った、芸妓上がりの老女だ。

   ほんの少しでも舞の振りを間違えようものなら、手どころか物差しまでも飛んできた、激しい気性のお師匠ししょさんだった。

   まったく異なる身分であるし、目の前の武家の女が激しい気性かどうかはともかく、とても手や物差しを使うようには見えない。
   それでも、相対あいたいした者が思わず背筋をぴんと伸ばしてしまうたたずまいなど、美鶴には何故なぜか二人は似ているように思えた。


「島村の家から参った美鶴と申しまする」
   早速、刀根が「口立て」する。

「し…島村の家から参った美鶴と申しまする」
   美鶴はその口振りをなぞった。

何卒なにとぞ、よろしくお願いたてまつりまする」

「な…何卒、よろしくお願い…奉りまする」

「続けて云うてみよ」
   すかさず、次の「お題」が出る。

「……島村の家から参った…美鶴と申しまする。何卒…よろしくお願い…奉りまする」

   ややもすれば、舌を噛んでしまいそうなたどたどしさではあるが、なんとか云えた。

「まずは、『物云い』からであろうな。そなた、明日から毎日、当家へ来られたし」

——ま、毎日で……なんしかえ。

「そなた、口はござらぬのか」
   刀根から、じろりと睨まれる。

   美鶴は、はっと我に返った。

「あ…ありがとうございまする。何卒、よろしくお願い…奉りまする」

  ほんの少しだけ、たどたどしさが薄れていた。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   あくる日より、美鶴は島村家の向かいにある千葉家に日参して、刀根から武家の女子おなごとしての物云いと共に、作法や心得も学ぶこととなった。

   刀根の教えは、同じ組屋敷に住む歳若いおなごたちであらば音を上げる厳しさだと評判であった。

   されども、幼き頃より吉原のくるわで歌舞音曲のお師匠から性根しょうねを叩き込まれていた美鶴にとっては、恐るるにるものではなかった。

   そして日を追うにつれ、徐々にではあるが武家の言葉を話せるようになってきた。


   さらに、島村の家に戻れば、今度はおさと・・・が「縫い物の師匠」である。

   そもそも、おさとは出は町家ではあるが、てて親も母親も上條家に仕える者で、その伝手つてで島村の家に奉公するようになった。

   縫い物は、子どもの頃から母親であるおきく・・・によって、みっちりと仕込まれていたゆえ、特に得手としていた。
   さようなおさと・・・の腕前は、あの口うるさい多喜ですら一目置くほどで、島村の主人あるじが身につけるものを一手に任されていた。


「……ここだけの話にしておくんなせぇよ」

   すっかり気安う話せるようになったおさと・・・が、見事な手つきで針を運びつつ声を潜めて云った。

「実は、御新造さんは縫い物が大の苦手で、旦那様の着物どころか浴衣ゆかた一つまともに縫えたためしがねえんでさ」

——ええっ、まさか……

   美鶴はびっくりして、思わず手が止まってしまった。

「そいだってんのに、お嬢にはあないなひどいことをしてたんでさ」

   美鶴ですら、すでに浴衣くらいであらば一人で仕上げられるくらいにはなっていた。

「お嬢はまだまだ手は遅いけど、縫い目が丁寧だから仕上がりがきれえなんでさ。……あ、そうだ」

   なにか、ひらめいたようだ。

「お嬢、もうそろそろ旦那様のために、浴衣でも縫っちまいましょうや」

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

一ト切り 奈落太夫と堅物与力

相沢泉見@8月時代小説刊行
歴史・時代
一ト切り【いっときり】……線香が燃え尽きるまでの、僅かなあいだ。 奈落大夫の異名を持つ花魁が華麗に謎を解く! 絵師崩れの若者・佐彦は、幕臣一の堅物・見習与力の青木市之進の下男を務めている。 ある日、頭の堅さが仇となって取り調べに行き詰まってしまった市之進は、筆頭与力の父親に「もっと頭を柔らかくしてこい」と言われ、佐彦とともにしぶしぶ吉原へ足を踏み入れた。 そこで出会ったのは、地獄のような恐ろしい柄の着物を纏った目を瞠るほどの美しい花魁・桐花。またの名を、かつての名花魁・地獄太夫にあやかって『奈落太夫』という。 御免色里に来ているにもかかわらず仏頂面を崩さない市之進に向かって、桐花は「困り事があるなら言ってみろ」と持ちかけてきて……。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

天保戯作者備忘録 ~大江戸ラノベ作家夢野枕辺~

大澤伝兵衛
歴史・時代
 時は天保年間、老中水野忠邦による天保の改革の嵐が吹き荒れ、江戸の町人が大いに抑圧されていた頃の話である。  戯作者夢野枕辺は、部屋住みのごくつぶしの侍が大八車にはねられ、仏の導きで異世界に転生して活躍する筋書きの『異世界転生侍』で大人気を得ていた。しかし内容が不謹慎であると摘発をくらい、本は絶版、当人も処罰を受ける事になってしまう。  だが、その様な事でめげる夢野ではない。挿絵を提供してくれる幼馴染にして女絵師の綾女や、ひょんなことから知り合った遊び人の東金と協力して、水野忠邦の手先となって働く南町奉行鳥居甲斐守耀蔵や、その下でうまい汁を吸おうとする木端役人と対決していくのであった。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

くじら斗りゅう

陸 理明
歴史・時代
捕鯨によって空前の繁栄を謳歌する太地村を領内に有する紀伊新宮藩は、藩の財政を活性化させようと新しく藩直営の鯨方を立ち上げた。はぐれ者、あぶれ者、行き場のない若者をかき集めて作られた鵜殿の村には、もと武士でありながら捕鯨への情熱に満ちた権藤伊左馬という巨漢もいた。このままいけば新たな捕鯨の中心地となったであろう鵜殿であったが、ある嵐の日に突然現れた〈竜〉の如き巨大な生き物を獲ってしまったことから滅びへの運命を歩み始める…… これは、愛憎と欲望に翻弄される若き鯨猟夫たちの青春譚である。

鄧禹

橘誠治
歴史・時代
再掲になります。 約二千年前、古代中国初の長期統一王朝・前漢を簒奪して誕生した新帝国。 だが新も短命に終わると、群雄割拠の乱世に突入。 挫折と成功を繰り返しながら後漢帝国を建国する光武帝・劉秀の若き軍師・鄧禹の物語。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。 歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。 上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。 ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。 そんな風に思いながら書いています。

処理中です...