大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
54 / 129
六段目

閾の場〈参〉

しおりを挟む

   腰に長刀・短刀を二本差ししていることから、武家であろう。

   切れ長の目に、スッと鼻筋が通っていて、ちょっと薄めの唇。かしらは粋な本多まげだ。

——歳の頃は……若さまと同じくらいでなんし……

   美鶴はその男を見つめた。

——あの夜……とうとう行けずじまいでありんしたが……若さまは……わっちを待っていなんしたであろうか……

   美鶴に後ろめたさが込み上げてきて、思わず男から目を逸らした。

   すっかり変わってしまった目まぐるしい暮らしに……
   吉原のくるわおんなであったことをひたすら隠して過ごす日々に……

   いつしか霞がかかったようにおぼろげになっていた若さま——兵馬の姿が、目の前の男を見て心にありありと甦ってきた。


「か、上條かみじょうさまっ」

   すぐさま多喜は膝を折って正座し、男に向かって平伏した。

「なにゆえ、かようなむさ苦しいところへ……何卒なにとぞ、母屋へお戻りくだされ」

「……そなたはまだ、さような堅苦しき物云いをされるか、叔母上」

   上條さま、と呼ばれた男が、板の間でひれ伏す多喜を見て苦々しげに笑った。

「されども、同心ごときの妻であるわたくしめが、内与力の上條さまに無作法な物云いなぞできませぬゆえ」

   多喜はさらに深くこうべを下げた。

「御公儀より内与力の御役目をいただいておるのは、我が父とその跡を継ぐ我が兄にてござる。次男坊のそれがしは、ゆくゆくは叔父上の跡を継ぎ、同心としてこの島村家に入ることになっておるというのに」

   美鶴は、この屋敷の主人あるじとその妻・多喜の間に子がいなかったことを思い出した。
   男が「叔父上」「叔母上」と呼んでいることから、身分の差はあれど彼らの「甥」なのであろう。


   男は、片隅にきちんと畳まれていた敷布団と夜着を見た。

「もしや、この部屋……というか、納戸で寝起きをしておるのではあるまいか」

   途端に、多喜の肩がぴくりと跳ねた。

「おい」

   男は今度は縁側の方に目を向けた。其処そこには控えるようにして、おさとが正座していた。

「悪いが、早急にもっと陽当たりの良い、まともな部屋を支度してくれ」

   男はさように云いつけると、おさとは「へぇ」と応えて、直ちに立ち上がる。

「おさと、待たれよっ」

   あわてて多喜が制する。

「かっ、上條さま……この者にお構いなきようお願い申し上げまする」

「されども……かような辛気臭いところ、今に病を得てしまうぞ。すでにこのほうの顔色が、すぐれぬように見受けてござるが」

   男がいぶかしげに顔をしかめた。

「こっ、この者は不届きなことばかりをしでかすゆえ……ば、罰にてござりまする」

   そして、多喜は美鶴の前に並べられたおさいを指差した。

「ほれ、あのとおり、この者はおのずから行商人より下賤な物を求めおって、武家のおなごにあるまじきいやしき所業をいたしておりまする」

「も…申し訳ありませぬ」

   美鶴は男に向かって平伏した。

それがしに頭を下げることはないゆえ、どうかおもてを上げてくだされ」

   男は美鶴に向けて、穏やかに告げた。

「某は、上條 広次郎ひろじろうと申す。北町奉行所の内与力・上條 広之進ひろのしんが息子にて生まれしが、次男ゆえに生家を出てこの島村家に養嗣子ようししとして入ることになっておる者でござる。……そなたの名は何と云うのか」

「み、美鶴で……ござりまする」

   面を上げることなく、美鶴は名乗った。とりあえず『ござりまする』と語尾に付けておいた。

「かっ、勝手に名乗りを挙げるものではないっ、烏滸おこがましい」

   多喜の声が割って入った。

「……ところで」

   男——広次郎が多喜に問うた。

「叔母上、そなたの云うこの者の『罰』とやらは……叔父上も御承知のことであるのか」

   一瞬にして、多喜の顔が色を失くした。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

おとか伝説「戦国石田三成異聞」

水渕成分
歴史・時代
関東北部のある市に伝わる伝説を基に創作しました。 前半はその市に伝わる「おとか伝説」をですます調で、 後半は「小田原征伐」に参加した石田三成と「おとか伝説」の衝突について、 断定調で著述しています。 小説家になろうでは「おとか外伝『戦国石田三成異聞』」の題名で掲載されています。 完結済です。

永遠の伴侶(改定前)

白藤桜空
歴史・時代
不老不死の少女は森の中で長い時を過ごしていた。 言葉も、感情も、そして己が『人間』であるということも知らないまま。 そんなある日、少女は一人の少年と出会う。 少女は知る。自分にも『仲間』がいたことを、人の『優しさ』を。 初めて触れたものに少女は興味を抱き、彼の手を取る。 それが、永き『人生』の始まりとも知らずに―――― ※アルファポリスさん、カクヨムさん(更新停止)でも掲載しています。 ※この作品はフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。 ※改定後を載せ始めました。良かったらそちらもご覧下さい。

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

処理中です...