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六段目
閾の場〈弐〉
しおりを挟む棒手振りが「へぇ」と応じて振り返り、担いでいた天秤棒を下ろした。
なんとか、既の処で呼び止められた。
地面に置かれた左右の桶の中を、中腰になって美鶴が覗き込む。
「こっちのは九十九里で捕れた目刺し鰯の焼物でやす。そんで、こっちのは品川で獲れた貝の剥き身と、練馬村で採って切り干しにした大根の煮物でさ。どちらもうちの嬶ぁが朝から腕によりをかけてつくったお菜でやんす」
早速、棒手振りがお菜を売り込んできた。
美鶴は思わず、生唾をごくり、と飲み込んだ。今にも腹の虫が鳴きそうだ。
「二つともおくれ」
あわてて袂から四文銭を何枚か取り出す。
——ひさかたぶりに、お菜にありつけなんし。
美鶴は、湧き上がってくる喜びとともにお菜を大事に抱え、いそいそと板塀の内に戻って行った。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
納戸に戻ってきた美鶴は、表で買い求めたお菜を板敷の床の上に並べた。
棒手振りからもらった箸を手にする。まずは、貝の剥き身と切り干し大根の煮物を摘み上げる。
そして、それがもう少しで口の中に入る、と思ったその刹那——
縁側の廊下の向こうから、あわただしい物音が聞こえてきた。
思ったよりずっと早く近づいてくる。
お菜を隠す暇など——なかった。
「返す返すも……そなたという者はッ。しかも此度は、我が島村の家の名を地に落とすつもりの狼藉かッ」
多喜はひさかたぶりに姿を見せたかと思えば、金切り声とも悲鳴ともつかぬ声で喚き立てた。
美鶴はまったく訳がわからなかったが、とりあえず手にしていた箸を置き、
「も…申し訳ありませぬ」
と、いつものようにひれ伏した。
「やはり、表で賤しき行商人より自ら銭を出して買うておったのは……そなたであったか」
多喜は美鶴の前に並べられたお菜に目を走らせると、一転して地を這うがごとき低い声で憎々しげに云い捨てた。
——もしや、棒手振りからお菜を買うことは、「お武家」にとってあるまじき所業でなんしたか。
美鶴の肝が、すーっと冷えた。
——されども、なにゆえ、かように早う知られてしもうてなんし。
お菜を棒手振りから手に入れたのは、つい今しがたのことであった。
「戯け者めが。かようなこともわからぬのか。この組屋敷の界隈で行うことなぞ、みな筒抜けじゃ」
多喜は、辛抱堪らずといった形相だった。
「向かいの御隠居の後妻が、一部始終をご覧になっておったのじゃ。ひさかたぶりにお見えになったと思いきや、
『奉公人が行商人から物を求むるのはめずらしきことではあらぬが、そなたの御家は奉公人にも白足袋を履かせておるのだな』
などと、厭味を云われたわ」
つまり、武家の者にとってはあるまじき行為であることから、わざと「奉公人の仕業」として多喜に知らせた、というわけである。
もちろん、素足があたりまえの奉公人に、わざわざ白足袋を履かせるような酔狂な武家はいまい。
行商人からお菜を買った美鶴が、どういう経緯でなのかはともかく、島村の家にいる「武家の娘」であることは百も承知のはずだ。
「あの御婆さまに、かようなことを云われるとは何たる屈辱ッ。そなたは、我が島村家末代までの恥じゃッ」
多喜がまた怒り立った。
恥をかかされた怒りが甦ってきたのであろう。武家の者にとっての「恥」は万死に値する。
「も…申し訳ありませぬ」
美鶴はさような武家のしきたりなど、つゆも知らなかったとはいえ、さらに平身低頭、我が身の非を謝った。
「……もう、そのくらいにしてはどうか」
着流しに袴姿をした長身の男が、縁側に立っていた。
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